君への轍
でも、既に覚悟してきたつもりだ。

いずれは、酸素ボンベと生活し、誰かの肺を分けてもらわなければ、生き存(ながら)えない。

あけりの病気は、そんな病気だ。



「とりあえず、検査してから、考えましょう。……もしかしたら、未承認新薬が、濱口さんに有効かもしれませんし。」

未承認新薬……。

あけりは、医師の言葉に素直にうなずいてから、こっそりとため息をついた。


発症してから、わずか3年だが、その間に何度も、何種類もの新薬を試し、その都度決して軽くない副作用に苦しんで来た。

今度は、どんなトラブルが起こるのだろうか。

考えるだけで憂鬱だ。


……薫さん……早く会いたい……。

競走……どうなったかな……。



あけりは今回の入院を、仕事中の薫に知らせなかった。

別に生死の境を彷徨うような症状でもないし、余計な心配をかけさせたくない。

でも、あけりの知らない間に、継父が泉に知らせ、泉から薫に伝わっていた。

すぐに欠場して帰ろうとした薫を、継父と泉が押しとどめた。

……仕事を投げ出すことを咎めるというよりは、あけりが自身の症状を実際よりも重く受け止めてしまうことを恐れての措置だった。



心配する薫の代わりに、わざわざ泉が見舞いに駆けつけてくれた。

あけりを喜ばせようとしたのだろう。

抱え切れないほどの大きなカサブランカの花束を持って来た泉は、

「香りと花粉が咳を誘発しますから。」

と、看護師に花束を持って行かれてしまい、ぶつくさ文句を言っていた。


「まさか、白いカサブランカを抱えたしょーりさんを見られるなんて思ってもみなかったです。入院して、得した気分。……ありがとうございます。」

病気に対しては、いろんな憤懣があるけれど、こんな風に泉とまた会えるようになるとは思わなかった……。

「ほな、次は赤い薔薇でも持ってきたるわ。せやし、クヨクヨせんとき。自分が暗くなったら、薫はもっと暗くなってしまうわ。」


よくわからないけれど、泉の言葉は、昔からあけりにとっては魔法の言葉だ。

良くも悪くも、絶大な力を持っていた。

泉がクヨクヨするなと言うならば、クヨクヨなんかしてられない。
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