君への轍
「……ダメだ。マジで、帰したくなくなってしまうわ。」

薫はそうつぶやいて、渋々、腕をゆるめた。


解放されたあけりは、それでも薫から離れなかった。


「あけりちゃん。……あんまり煽ると……喰っちゃうよ。」

冗談めかして薫がそう言うと、あけりは慌てて半歩離れた。

でも、薫の腕を掴んだ右手はそのまんま。

精一杯の譲歩と好意に、薫の胸が甘く疼いた。


薫は、自分の腕に置かれたあけりの手にそっと自分の手を重ねた。

あけりの口角が微妙に上がった。

ただそれだけの触れ合いで、心の距離がまた近づいたような気がした。


「……明日、また来るよ。」

「うん。……明後日、出発?」



前検日と呼ばれる、レース開催前日の集合日は、本来はしあさってだ。

しかし、今回は前検日の前日に現地入りして、師匠たちと温泉旅館に前泊するらしい。

6日間開催と前検日で7日間。

さらに前乗り分の1日。

出逢ってから1ヶ月足らずだけれど、8日間も逢わないことは初めてだ。

仕事だから仕方ないとは言え、今の薫とあけりにとってのこの空白が2人にどう作用するのだろうか。


「明後日の昼出発、かな。あけりちゃんは、昼まで学校、だよね。」

「……うん。」



世間では土曜はお休みの学校が多いのに、あけりの学校は相変わらず半日きっちり授業をする。

もし休みだったら……出発前に、少しぐらいは逢えたのだろうか。

さすがに、これ以上のワガママは言えない。

あけりは言葉を飲み込んだ。


薫も、それ以上は言わなかった。


夜の空気は、必要以上に感傷的にさせる。

雰囲気に飲まれて、よけいなことを言ってしまいたくはない。

あけりは、……初恋相手は既婚者だったらしいが、恋愛初心者だ。

ここまで心を開いてくれたのなら、あとはたやすいだろう。



でも……俺に流されるのではなく、俺のことを……好きになってほしい。



いつの間にか、薫の中にそんな想いが芽生え始めていた。

臆病になっているのかもしれない。

単に、かわいい女子校生と楽しい恋愛をしたい、とか、もはやそんなものじゃない。
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