君への轍
「これが焼き肉?ぶ厚すぎるやろ!ステーキよりぶ厚いやん!」

それまで、店の雰囲気に飲まれておとなしくしていた志智のテンションが一気に上がった。

運ばれてきた近江牛ロースは、確かに大きく、厚みかあった。

「……はあ~……。すごい。お肉もお店もすごすぎて……。先輩、いつもこんなとこ連れてもらってるんですか?」


嘉暎子にそう聞かれて、あけりはふるふると首を横に振った。

「一緒に夕食、食べるの……これが、はじめて。」

「まだ出逢ってから1ヶ月ほどやし……お嬢さまをあまり連れ出せなくてね。君らのおかげやわ。これからも、アリバイになってくれるとうれしいわ。」

「薫さん!」

さらりと2人を利用したいと言ってしまう薫に、あけりは驚いた。


でも、嘉暎子はむしろ喜んだらしい。

「わー!いつでも誘って誘って。お能も一緒に行きましょ。……ところで、師匠って何ですか?さっき、女将さんが『シショウのイズミサンからお電話いただきました。』って仰ってましたけど。何の師匠ですか?……日舞とか……陶芸とか……」

あけりの顔から表情が消えるのを見て、嘉暎子は一瞬、聞いてはいけないことなのかと言葉を切った。

でも、薫は何の躊躇もなく、説明した。

「そんな高尚なモンじゃないわ。俺、競輪選手やねんわ。泉さんは、俺の競輪の師匠。まあ、師匠っちゅうか……超ワガママな神様?」


「けいりん……」

「競輪選手……て……プロってこと?」

予想もしなかったワードに、2人は唖然としていた。


「うん。プロの競輪選手。明日から出稼ぎ。29日から6日開催の、たぶん4回出走予定。」

薫はそう言ってから、にっこり笑った。

「来月、岐阜の大垣で走るからさ、よかったら応援に来いひん?あけりと。……最終日は日曜日やから、どこかでご飯食べよう?」


……薫さんてば……ご飯で釣るんだ。


効果は覿面だった。

「……大垣……か。……関ヶ原のあたりに焼肉街道ってありませんでしたっけ?」


志智にそう聞かれて、薫は何度もうなずいた。

「あるある。小汚い店から小綺麗な店まで、あるで。行きたいとこあるんやったら、予約しといてくれる?」

どこまでも鷹揚な薫に、嘉暎子は首を傾げた。
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