君への轍
「あらあらあらー!そうなの!?まあ!……礼儀正しいのねえ。お能、お好きなんですって?何がお好きなの?」

「そうですねえ……月並みですが、修羅物は好きですね。あとは……ああ、今回の『鐵輪』(かなわ)は以前から生で観てみたかったので、楽しみです。」

「まあ。じゃあ、来週の定期能もお勧めですよ?『朝長』(ともなが)。どう?」

「……いいですねえ。美しい生々しい修羅能ですよね?……もう亡くなられた人間国宝の舞台を拝見したことがあります。」

「え!ほんと?……そのかたのお孫さんが舞われるの。池上宗真さん。じゃあ、チケット準備しとくね。」

「わ。ありがとうございます。……あけりさん、来週も、つきあってくれる?」

「いいよね?濱口さん!」


目を見開いて口をパクパクしているあけりを置いてきぼりに、徳丸部長と聡は話をまとめてしまった。



……てか……聡くん、本当にお能、詳しいんだ……。

かなわ?

ともなが?

……もうちょっとメジャーな演目を挙げてほしかったわ……。




会場は、あまり大きくなかった。

つまり舞台が近い!

最後列でも9列めだ。

自由席だったので、ちょうど真ん中に座った。


「『鐵輪』ってどんな話?」

小声でそう尋ねると、聡はニッコリほほ笑んだ。

「丑の刻参りだよ。頭に蝋燭を立てて、夜の貴船神社で藁人形に五寸釘を打ち付けるってやつ。」

「え……。」


そんなお能があったんだ……。


「何か……怖い……。」

たじろぐあけりに、聡は言った。

「怖いより悲しいよ。……実際に貴船神社で木に打ち付けられた藁人形見たことあるけどね……虚しいよね……。」

「……ほんとに……今も、やるヒトいるんだ……。」

ぶるっと震えが走った気がした。


「夏になったら、行ってみようか?貴船。涼しいし。川床で流し素麺とかさ。」

さらりと、聡が誘った。


「あ、好き!鮎も食べたい。行く行く。」

即答したあけりに、聡は心からうれしそうな顔を見せた。




舞台は、想像以上に怖かった……。

「かなわ、って……五徳?囲炉裏に置いて、釜を置く?」

五徳をひっくり返して頭にかぶり、3つの足の部分に蝋燭を立てた姿は、横溝正史の『八つ墓村』を思い起こさせた。
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