君への轍
部長が嘉暎子の仕舞いを見てあげる傍らで、あけりは謡曲集をめくった。

舞台は、生田?……神戸?

てかさ。

最初は乙女達がうふうふきゃははと山菜を摘んでるのかもしれないけど、これ、けっこう生々しくおどろおどろしいんじゃない?

2人の男に言い寄られた乙女が、ゲームの勝者に自分を与えるから恨みっこなしね、って、馬鹿な提案しちゃったんだ。

でも、2人とも優秀で勝敗がつかなかったから、乙女は生田川に身投げしてしまった……と。

さらに悲劇なのは、乙女の墓で2人の男が刺し違えて死んでしまったらしい。


こはそも妾がなせる科かや
恨めしや

この2文を読んで、あけりはぞっとした。

無邪気でも、悪意がなくても……乙女の心ない提案で、2人の男が死んだのだ。

乙女はどちらかの男を、ちゃんと選ぶべきだった……。


部長は、私には『鐵輪』(かなわ)より『求塚』(もとめづか)だと言った。

つまり、それは……、時間がかかっても、ちゃんとどちらかを切って、どちらかを選べというアドバイスなのかもしれない……。


あけりは、人の良さそうで気さくな部長が、ただ者ではないことを察した。


「まあ、『求塚』自体は、よくかかる演目だから……確か、夏休みにどこかでやってた気がする。また、みんなで観に行きましょ。あ。濱口さん。聡くんはもちろん、その競輪選手も誘ってもいいわよ?」

さらりとそんなことを言われて、あけりは苦笑いした。




17時に下校した。

嘉暎子は市バスで彼氏の部屋に行くので裏門から、部長は電車なので、あけりと一緒に表門から出た。

……ら……、タイミング良く、あけりの携帯が震えた。

薫の名前が光っていた。


「……お迎え?じゃあ、先に帰るね。バイバイ。お疲れ様ー。」

部長はそう言って、ひらひらと手を振って帰って行った。


あけりはぺこりと頭を下げて挨拶してから、電話に出た。



『あけりちゃん?……部活終わった?』

薫の声が耳に飛び込んできた。

「はい。帰るところです。……薫さんは……まだ東京?」

『いや。あけりちゃんを待ってた。師匠の荷物を取りに、戻ってきたんだ。とんぼ返りで往復するけど。……居た居た。おーい。』

おーい、と呼ぶ声が両耳から微妙にずれた音で聞こえてきた。
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