君への轍
「ただいま~。にほさん、雨降ってきたよ。師匠、来てるの?」

髪を滴らせて、聡が帰ってきた。

手に持ったゴーグルも、ジャージも、濡れている。

「お帰りなさい。聡くん、先にシャワー浴びて来たら?風邪引いちゃう。……あ。これ。聡くんの好きな山形の『乃し梅』もあるわよ。」

「わ。ありがとうございます。」

「おー。……あ、でも『萩の月』はあけりちゃんにあげてきちゃった。聡も好きなのに。ごめん。」

薫がそう謝ると、聡はタオルでゴーグルを拭きながら言った。

「この『乃し梅』もあげてよかったのに。……あけりさん、もっとたくさん食べさせないと。元気出ないよ、あれじゃ。」

……確かに……細い……。

あけりの肩や背中の骨の感触を思い出して、薫は改めて決意した。

向こうからも、お菓子を送ろう、と。



翌々日の木曜日、あけりは薫からもらったお菓子をいっぱい詰めて部室へと向かった。

「わ!すごい!……こんなに……毎回、いいのよ?」

徳丸部長はそう言ったけれど、丸い大きな黒い瞳がキラキラと輝いている。

「もらい物です。……私1人じゃとても食べ切れませんので。賞味期限もありますし、彼氏さんにも持って行ってさし上げてください。」

あけりがそう言うと、嘉暎子が満面の笑みでうなずいた。

「わーい!はっち、甘いモノも大好きなんです。喜びます!……薫さんのお土産ですか?」

「うん。競走の度に、全国の同期生でお土産を交換し合ってるみたい。それに薫さん、先行選手だから……マーク屋さんからの付け届けも多いんだって。」

専門用語を使ってしまったせいか、部長も嘉暎子もキョトンとしている。

慌ててあけりは言い直した。

「えーと、薫さんの後ろを走ると楽して勝てるんですよ。だから、そのお礼とお願い?」

すると、2人は複雑な表情になった。

「……なんか……損な役回りしてらっしゃるみたいね……。」

「うーん。イイヒトの薫さんらしすぎて……。」

あけりも苦笑した。

「まあ、若いうちは……。」

……とは言え、あけりの恋してやまない泉は、若い頃からヒトの為に走ったことなんか皆無だったけれど。


やっぱり性格なのかしら。


お茶を楽しんだ後、部長があけりに謡い本のコピーを綺麗に簡易製本したモノをくれた。

「とりあえず、初心者だから『鶴亀』ね。これが終わったら、次は濱口さんの好きなのにすればいいから。」

「はい!ありがとうございます。……この記号なんですか?」
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