君への轍
「うん!僕もそう想う!舞台俳優とか女優にもさ、憑依型のヒトが、ごくごくたまにいるけど……宗真(そうま)さんもそうだと思う。ホンモノだよ。あのヒト。」

「憑依型……。」

なるほど。

確かに、そうかもしれない。

演じるというよりは……、源朝長が、池上宗真という能楽師の身体を借りて、この世に現れているような……そんな不思議な感覚。


「他の曲の時にも?このかた、こんな風なの?」

あけりは自分で言ってて、自分の質問の意味がよくわからなかった。

でも、聡には、ちゃんと伝わったらしい。

「うん。別人。……まだお若いし、僕も、そんなに回数、見てないけど……完全に別人。このかたの素の人格ってどんなヒトなのか不思議なぐらい。」


実際、聡は池上宗真という能楽師に興味津々だ。

ゴールデンウィークにシンガポールでも、母の再婚相手の所有する動画を見せてもらってきた。

母の再婚相手は、かつて、宗真の父に師事していた縁で、宗真のお稽古や、リハーサルを撮影していたという。

場当たり的なリハには何も感じなかったが……入り込んだお稽古では、やはり池上宗真本人ではない何かを感じる気がした。


「……また……観てみたい。」

あけりの言葉に、聡はうれしそうにうなずいた。





翌週の水曜日。

終礼が終わると、あけりは足早に教室を出た。

先週、肺から出血したばかりなので、怖くて走ることはできない。

でも悠長に歩くことはできなかった。

通用門ではなく、坂を少し上がった正門から出ると、すみれ色の小さめの車が近づいてきた。

窓から、たくましい腕が伸びて来て、あけりに手を振っている。

薫だ。

「どうしたんですか?この車。……すっごくかわいいですけど。」

運転席を覗き込んで、そう聞いた。


薫は、いつも通りわざわざ車を降りて来て、あけりのために助手席のドアを開けてくれながら言った。

「借り物。トヨタのパッソ。師匠のちょい乗り車。」


あけりの笑顔が固まった。

ドキドキと心臓が高鳴る。

しょーりさんの車……。

……こんなにかわいい車に普段乗ってるなんて……意外すぎる。


「……もっといかつい車に乗ってらっしゃるのかと思いました。」

昔の泉は、ベンツと、ホンダのトールワゴン型小型車に乗っていた。

このホンダ車は前後ともベンチシートな上に、2列をフルフラットにできるため車中泊もできたが……「走るラブホテル」とも呼ばれていた。
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