好きにならなければ良かったのに
「美幸?」
「追って」
「……何言ってる?」
美幸の言葉に動揺する幸司は、真剣な瞳で見つめる美幸から目を逸らす。
晴海と吉富の姿に幸司の心が乱されているのは明らかで、それは手に取るように分かる。ならば、幸司は晴海を追いかけるべきだと美幸はバカな事を思い付く。
「良いの? 彼女を吉富さんと行かせても」
「何故、昔の女を追わなきゃならないんだ? くだらないことは言うな。帰るぞ」
美幸に背を向けた幸司は、美幸の顔を見ることなくさっさと歩いていく。後ろ姿を見せられた美幸は、暫く立ち止まったまま幸司の背中を見つめている。とても悲しそうにしているその背中を見て、幸司はやはり晴海と一緒の方が幸せなのかとそんな葛藤が生まれる。
「美幸、早く来い」
以前の様な冷たい口調とまではいかないが、それでも、やはり優しい言葉ではない。淡々と喋る幸司に、美幸は胸が締め付けられそうになる。
あれほど幸せのど真ん中にいたと思っていた美幸だったが、幸司との関係はこれほど脆いものだとは思わなかった。
『美幸を大事にする』と、まるで決意した様な幸司の言葉に縋りたくなる美幸だが、その言葉は心が晴海にある為に出た言葉ではないのか。『大事にする』とは、これからはその心を美幸へ向ける努力をすると、そう言われたのだと美幸はそう感じ取ってしまった。
結局、この後、自宅へと戻って行った二人だったが、その間も車中で会話を交わすことなく無言のままでいた。自宅へ戻っても美幸は幸司とは顔を合わせられなく、寝室へと向かうと着替えを済ませ、以前自分の部屋だった隣の子ども部屋へと行く。
――もう、潮時なのかしら?
これまで何年も幸司とは心を通わせることは出来なかった。けれど、入社して少しは幸司の傍にいて力になりたいと思ったし、父親が入院しても幸司を支えたいと実家へ帰らずに幸司の許に残ることを決めた。少しはその気持ちが幸司に伝わっていると思っていた。
けれど、ラブホテルで晴海と遭遇した時の幸司の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
もう、どんなに幸司の為にと心を尽くしても、幸司にはその思いは届かないのだとそう思えてならない。美幸は、このまま幸司を縛りつけても良いのだろうかと、妻の座を明け渡すべきではないのかとそんな想いが頭を過ぎる。