好きにならなければ良かったのに
「美幸、こんなに何日も仕事帰りによらなくてもいいのよ。仕事で疲れているでしょう?」
毎日、空が薄暗くなる頃になると決まって美幸は父親が入院する病院へと行く。抗がん剤の治療を受けている父親は少々顔色が悪く気分が冴えない様で、その所為もあって母親に時に辛く当たることもある。だからと母は文句言うことなくグッと堪えて、苦しみに耐えている父を必死に支えようとしている。
そんな二人の姿を見るのも美幸にとっては嬉しいことで、病気の父の寿命があとどれくらいなのか不安でもあるが、それでも、両親の姿を見ていると心が温まる。
「私なら大丈夫よ。仕事して疲れて帰っても家では何もしていないんだから」
「美幸、それでも幸司さんが待ってるでしょう? お父さんなら大丈夫よ。私がついているんだから」
少し目の下にクマが出来ているのが美幸の目にも分かる。微笑んで気丈に見えるも、その表情は疲労困ぱいに近いものがある。それが分からない娘ではないのにと思いながらも、今、両親が弱っている時に夫の幸司と離婚を考えているなどとは口が裂けても言えない。
「たまには私が病院に泊まるわ。お母さんは家に帰ってゆっくり寝て体を休めて」
「ううん。お父さんの傍についていたいのよ」
薬の所為で眠っている父に寄り添う様に身を屈める母の姿に美幸は胸が締め付けられる思いだ。自分だって幸司が病気の時は看病したいし、怪我をすれば不自由な両手足の代わりに自分が動いてやりたい。服を着せるのも脱がせるのも、ご飯を食べさせるのだって何でも手伝ってやりたい。
なのに、もう、幸司には何もしてあげられなくなった。話し合いさえも出来なくなった。それどころか、顔を合わせることすら困難になっているのだ。
離婚宣言をしたあの日から幸司は帰宅しなくなった。
美幸は幸司と話し合いを持つ必要があると思い、あの日は自宅へ帰宅した。離婚の話し合いを終えれば、その足であの屋敷を出るつもりでいた。
なのに、幸司は一度も自宅へ帰ってくることはないのだ。
「美幸?」
「……え? あ、なに、お母さん?」
母が美幸の顔を覗きこむ様にして見る。美幸はいきなり何事かと目を逸らし母から一歩遠ざかる。すると、母が美幸の顔を見ながら少し首を傾げる。
「あなた顔色が悪いわよ」
「平気よ。最近睡眠不足だからだわ。何ともないわよ」
「生理は毎月あるの?」
「え? ……たぶん」
母に言われるまで気付かなかった。最近のあまりにも変化に富んだ生活に生理の事は頭になかった。