好きにならなければ良かったのに
本当に目の前が白く靄がかかり意識が遠くなりそうだった。足元が覚束なくて、このまま歩いてバス停まで行けるのかとその場に座りこんでしまう。
どうしようかと少し不安になっていると、そこへ肩を掴まれて抱き起こされる。その力強さに思わず幸司が来てくれたのかと振り返る。
「大丈夫ですか、奥様?」
「あ……、青葉さん?」
美幸を支えたのは幸司ではなく青葉だった。青葉が美幸を抱き起こしてくれた。
何故、青葉がここに居るのだろうかとそんな考えが脳裏を過ぎるも、今はいきなり襲って来た眩暈に気が動転し他のことなどこれ以上考えられない。
「顔色が良くありませんね。あの後、課長と何かあったのですか?」
「別に、何も」
青葉は美幸があれ以来会社へ出社していないのを知っている。そして、幸司が自宅へは帰らずに仕事が終わると毎日ビジネスホテルへ泊まりに行くのも知っている。一体二人の間で何が起きたのか、理由を知りたい青葉は美幸が病院へ見舞いに行く時間を見計らってやって来ていたのだ。
「奥様がこの時間帯にここへ来ているのは大石部長から聞いています」
「え? 父に?」
「ご安心下さい。余計な事は何も話していません。奥様が会社へ出てこられていないなど」
美幸は青葉の手を振り払いバス停の方へと向かって行こうとした。しかし、青葉はそんな美幸の前へと回り込み行く手を塞ぐ。
「どいて」
「いいえ、どきません」
「私は忙しいの」
「課長が家に帰らないのに?」
幸司が家へ戻らなくなったことを知っているのに、ワザとそんな厭味なセリフを言う。美幸は頭に血が上りカーッとなって青葉の頬を平手打ちする。
「私を侮辱しに来たの?! 悪いのはみんなあの人なのよ、なのに私の所為にするの?!」
「いいえ。ただ、課長が何故自宅へ帰らないのか、何故あなたが会社へ出て来ないのか。それを調べるのも私の仕事の内ですから」
嫌な男だと思いながら美幸はそっぽを向く。美幸は離婚について幸司と話し合う必要があるのに、現れたのは幸司の秘書のような会社の社員だ。
そう、幸司の秘書の様に動きまわる社員の筈だ。なのに、何故、自分だけでなく幸司の素行まで調べるのだろうかと美幸はハッとする。
「あの、青葉さんって一体会社では何をしている人なの?」
「今はまだ言えません。それが奥様であっても」
その言葉に美幸は、青葉は幸司の部下と言うよりは、幸司を監視する為の人物ではないのかと思えて仕方がない。