好きにならなければ良かったのに

「あなたは幸司さんの部下じゃないのね。部下が上司の素行を調べる仕事なんてないわ」
「……あなたは勘が鋭いですね」

 そんなのは勘が鋭くなくても誰にでも理解出来ることだと、美幸は本当に青葉のセリフが癪に障る。そんな相手といつまでも会話を続けても無駄だと美幸は青葉に背を向けて歩きだす。

「そちらはバス停ではないですよ」
「あなたが邪魔をするからよ。結構よ、歩いて行くわ」
「その体でですか?」

 意味深なセリフに美幸は足が止まる。「その体」とはどんな体なのかとますます怒りが増しそうになると、振り返って青葉を睨みつける。
 すると、美幸が振り返ると青葉はまるで作り笑いの様なにっこり笑顔を向ける。

「診察は受けましたか?」
「診察? どう言う意味ですか?」
「あなたのご両親はかなり心配されていましたよ。あなたが毎日見舞いへ来るのは良いが、顔色が悪く食欲もあまりないようだと」

 ついさっきまで、青葉と顔を合わせる前まで美幸もその事を考えていた。それ程酷くないにしても体調がいつもと違っている事に。母親に言われて初めて気付いた美幸は、それについて誰にも相談出来る者がいなく不安に陥っていた。
 そんな時、青葉がやって来た。それも、両親が美幸を案じている事まで知りながら。

「まさか、母に頼まれたの?」
「診察を受けて頂けませんか?」

 青葉は診察を受けろとだけ言う。他の事には触れようとしないし、ましてや美幸の両親から頼まれたとも言わない。いったい何故青葉はここまで立ち入ったところまで仕事として動くのか、美幸は謎が多すぎて青葉を信用出来ない。
 だから、勿論、そんな青葉がいる時に診察など以ての外。

「奥様、診察を受けて頂きます」

 青葉はさっきまでの口調とは変わって、美幸に命令を下す。何故、青葉にそこまで指示されなければいけないのか、美幸はだんだん反抗的な態度へ変わる。

「いい加減にして。いったい何様のつもりなの? あなたに指示される云われはないわ」

 青葉を無視してバス停へと向かうと「妊娠していませんか?」と青葉にそう訊かれる。
 自分でも一瞬はそう思えた。しかし、思い当たる行為は最近を覗いては考えられない。気まぐれに幸司に抱かれたことなど美幸の記憶からは遠退いている。

「会社の後継者となる子ですよ。あなたには診察を受けて頂きます。これは社長命令です」

 その言葉を聞いて美幸は全てを理解した。青葉が何故ここまで幸司や自分の行動をチェックするのか、何故立ち入ったところまで入り込もうとするのか。それは、全て社長の直属の部下であるからだ。

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