好きにならなければ良かったのに
「大石?」
新人研修のはずの時間だが美幸の頭の中には香川の言葉など一つも入ってこない。何か大事な説明をされていても、美幸の顔を厳しい表情をして見ていても、まるで音声の聞こえないテレビドラマを見ているようで……
「○×□△※○△※?!」
美幸に向けられていても一向に聞き取れない。それどころか、香川だけでなく佐々木の声も顔も、会議室の机も椅子も何もかも遠ざかって見える。それも、かなりぼやけて。
まるで、今、目の前にあるのは『辛い夢を見てるに過ぎないんだよ』と言われているようで、四年前のショックから立ち直れない自分に見せている幻なのだと。
未だに抜け出られない辛い日々が再び残酷な夢を見せているのだと。
そして、その辛い残酷な夢にとうとう倒れてしまった。
「大石さん! 大丈夫ですか?!」
意識を失い床に倒れた美幸に驚いて、隣に座っていた佐々木が慌てて美幸を抱き起こした。
しかし、反応のない様子に佐々木は美幸を抱き上げる。
「医務室へ運ぶんだ、場所は……いや、私が運ぼう」
「いいえ、教えてもらえたら俺が運びます。香川さんが医務室へいったらどうせ俺の研修は止まりますから!」
香川に医務室の場所を聞いた佐々木が美幸を抱き抱えたまま会議室から出て来た。すると会議室の香川に渡す資料を持った幸司と鉢合わせする。
青ざめた顔の美幸を抱き抱える佐々木は幸司の顔を見ると軽く頭を下げそのまま医務室へと向かった。
いったい何がどうなっているのか、幸司は会議室にいる香川の所へと行くと事の真相を問い質す。
「真っ青になっていきなり倒れたんです。彼女は健康診断書に問題はないんですよね?」
「健康診断で数値に異常があれば内定は取り消されるし、仕事に支障ない持病は問題視されないはずだ」
幸司は香川に必要な資料を渡し会議室から出て行こうとすると、香川が今後について幸司に尋ねる。
「本人の回復を待つしかないだろう。しかし、時間が勿体無い。佐々木の方は戻り次第始めろ」
「しかし、課長、そうなると二度手間になりますよ」
「大石には日下から簡単な説明をさせよう。それで十分だろう」