好きにならなければ良かったのに

 幸司が恋人である晴海を裏切ったことには変わりない。そして、晴海から恋人を奪ったのはどんな事情があれどそれは美幸なのだ。結果的には美幸が晴海から恋人を奪ったのだから。

「この通りです。幸司さんを許して下さい」
「美幸!」

 頭を下げる美幸の体を起こそうと必死に抱きかかえる幸司を見て、晴海は自分がバカの様に感じてしまう。もう幸司の心の中には自分のいる場所は微塵もないと分かってしまった。

「ねえ、吉富さん。今日は謝罪大会だったのかしらね。私達は課長が進めてきた例の企画の報告へやって来たんだと思ってたのに」
「あ、ああ。そうだけど……」

 予想外の展開に吉富はあまりの驚きに声が出なく、事の成り行きを黙って眺めているだけだった。そして、やっと晴海から声がかかり口を開くが、まだ、少し呆然とした様子をしている。

「吉富さん?」
「あ? ああ……」
「しっかりして下さいよ」

 晴海が吉富の腕を抱きしめると、にっこり微笑んで頬刷りをする。その晴海の様子を見た幸司と美幸は呆気に取られ、必死に頭を下げていたのにと拍子抜けする。

「実は、課長がいきなり入院されたのでかなり不安でしたが、例の企画のプレゼンですが無事終了しまして、先方からの契約が取れました」

 吉富からの朗報に幸司は感激し、吉富の手を握りしめ「ありがとう」と何度もお礼を言う。

「もう課長がいなくても大丈夫ですから。ゆっくり入院してて下さい」
「そんな訳にはいかないだろう。部長もまだ入院中なんだ、私が早く戻って指揮を取らなければ」
「それで、大石さんはどうするんですか?」

 吉富が美幸へ視線を移してそう言う。吉富の瞳からは、今の中途半端な状況をハッキリさせて欲しいと美幸にそう伝わる。
 美幸もこのままの状態では皆に迷惑をかけるし、幸司には悪影響しか与えないと思うと、会社を辞めるしか道はないとそう思えた。だから、今、この場でそう言おうとすると。

「そうだな、俺としては美幸には家庭を守って欲しいが、どうだろうか?」
「え、ええ……」

 美幸が仕事に未練を残している様にも見えた幸司だが、少し表情を硬くして言う。

「美幸はこれから何人もの子育てが待っているんだ。仕事している暇はないと思うけど?」

 幸司の突拍子もないセリフに美幸は驚いて幸司の顔をマジマジと見つめる。

「あの? 何人もって……」

 美幸は言葉の意味を考えるとだんだん顔が赤く染まり俯いてしまう。

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