好きにならなければ良かったのに

 幸司の打撲の状態も随分と良くなり病院を退院した頃、美幸の父親である大石部長の抗がん剤の効果が予想以上の結果をもたらし、患部を手術で取り除けば一先ずは安心できるところまで順調な経過となる。
 予想外の出来事ばかりが起きた榊家だったが、幸司の退院と共に賑やかな生活を送っていた。

 そして、退院した直後から仕事復帰した幸司は痛みのある体で出社する。大石部長不在の中の指揮官として、営業部全体を取り仕切っていた部長代理を補佐する幸司は、これ迄以上に忙しい日々を送ることになる。
 長期に亘り不在にしている部長の代わりはそう簡単に終わる仕事ではない。だから、毎日夜遅くまで帰宅出来ずに仕事に没頭する日々を送る。

 その日も幸司は朝に会社へ出掛けたまま深夜になっても帰って来ない。
 美幸は、仕事が忙しいと言うのは理解している。そして、以前の様な恋人の晴海の所にいるのではないかと言う不安も今はない。
 しかし、だからと言って深夜になっても帰宅しない夫を心配する訳で。事故に遭っていないだろうか、或いは病気で倒れていないだろうかと別の不安が押し寄せる。
 どんなに不安になっても、会社へ確認の電話を掛ければその分帰宅が遅くなりそうで、美幸はただひたすら寝室のベッドに横になって幸司の帰りを待つしかなかった。

「今夜も遅いのね」

 ベッドに仰向けになりながら、少しポッコリと出てきた下腹を優しく撫で「パパは頑張りすぎよね?」と呟く。モソモソと話すその声には力はなく少し寂しげな感じだ。

 すると、ドアをトントン叩く音が聞こえる。
 「はい」と、返事をすると使用人から青葉が来ていると知らされる。美幸が会社の状況を知りたい時にグッドタイミングにも青葉がやって来た。

「青葉さんに聞きたいことがあるから待ってもらって! 私も準備したら急いで行くから」

 美幸は会社の内情を知る絶好のチャンスだと感じ、青葉に帰られる前にと急いで着替えをする。流石にネグリジェ姿で青葉に会うわけにはいかなく、いつもの妊婦服へと着替えて一階の応接間へと急ぐ。

「お待たせしました、青葉さん」

 応接室へ入るとそこには青葉と吉富が並んでソファに座っていた。
 この二人が一緒に居るところを見たことがない美幸には珍しい組み合わせだと思って眺める。物珍しそうに美幸が眺めていると、吉富が立ち上がりいつものふざけた様子はなく、真剣な瞳で真っ直ぐに美幸を見つめる。 

「何かあったの?」

 美幸は吉富が異様な雰囲気をしている様に思えて胸の鼓動が大きくなる。

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