好きにならなければ良かったのに

---美幸が眠る医務室、

「大石美幸? そんな新入社員いたかしら?」

 医務室の看護師で室長の田中美佐が、今年の新入社員の名簿を確認するも『大石美幸』と言う名前を探し出せずに頭を傾げていた。

 新入社員名簿から名前が漏れたことなどこれ迄その様なミスは無かった。自分のデスクに座っていた田中は重々しく腰を上げると、机にもたれ掛かり新入社員名簿をもう一度最初から眺めていた。

「営業部の何処を見ても名前はないわ。人事部のミスね」

 大きく溜め息を吐いた田中は内線をかけようと受話器に手をかけた。すると、丁度そこへドアを叩く音が聞こえてくる。

 受話器から手を離しドアの方へと視線を向けると、そこには、営業部の課長である幸司の姿があった。

 開いたドアから幸司の顔が見えると田中は「グッドタイミング!」と嬉しそうな顔をして幸司を医務室へ招き入れる。

「グッドタイミング?」

 一体何の事かと意味不明な幸司は田中の顔を不思議そうな顔をして見るが、田中はにっこり微笑みながらも次の瞬間「これミスってるわよ!」と罵り始めた。

「ミス? 何の事ですか?」
「さっき、営業部一課の新人君が倒れた彼女をここまで運んでくれたんだけどね」

 寝台に横になって眠る美幸を指差す田中。
 幸司は指差された寝台の方へと近づくと寝台の数歩手前で足を止め眠る美幸の顔色を窺う。美幸の顔色はそれほど悪くないと感じると、寝台に背を向け田中を見ては質問をする。

「彼女は一体どうしたんですか?」
「連れて来てくれた新人君の話から察して、多分、新入社員によくある緊張じゃないかしら? よくあることなのよ」

 田中の話によると、毎年ではないにしろ新入社員が初出勤を前にして緊張から眠れない夜を過ごし、翌日の勤務初日に倒れてしまうことがあるらしい。美幸もそれと同じケースではないかと言う。しかし、肝心の本人は寝込んだままで問診が出来ていない為、まだハッキリとしたことは言えないと説明する。

「新入社員による緊張ですか?」
「ええ、多分。それより、榊課長の課の新人のはずだけど、人事部から届いた社員名簿には彼女の名前が見当たらないのよ」
「見せて貰えますか?」

 田中が持っていた名簿を受け取ると幸司は営業部の名簿の欄を確認する。そこには確かに「大石美幸」と言う名前は見当たらなかった。

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