好きにならなければ良かったのに
社長室へ向かおうとエレベーターホールへ行ったものの、ここで社長を問い詰めれば美幸との生活を問われそうだと考えると、エレベーターのボタンを押すに押せなくなっている。
暫くその場に立ち竦んでいたが、営業部へ戻ることにした。
エレベーターホールから離れようとしたところ、下から上がってきたエレベーターが止まりドアが開くと、中から美幸が降りてくる。
「美幸」
「あ、その、急に気分が悪くなって、ごめんなさい」
まさかエレベーターを降りた所に幸司がいると思わずに少しパニックを起こしかけている美幸。
あわてふためいて必死に説明しようとする態度があまりにもわざとらしく感じる幸司は「大丈夫なのか?」と美幸の話を遮る様に訊くも、心配そうな表情はしていない。
「直ぐに研修に戻ります」
「いや、いい。研修に戻る必要はない。期待の新人の佐々木の邪魔になる。お前は日下から仕事を習え」
信じられない幸司の言葉に美幸は卒倒してしまいそうだった。ただでさえ、夫の長年の恋人である女と同じ部署で働く苦痛に耐えなければならないのに。
今度はその女から仕事を習えとは、これ程の屈辱はないと美幸は黙って頷けるものではなかった。
「私にも新人研修を受けさせてください」
幸司の顔色を窺うようなビクビクした態度を見せながらも、ハッキリと自分の意見を言う美幸に幸司は眉間にシワを寄せあまり良い顔はしない。
「佐々木の邪魔だ」
「私は仕事をするために入社したの。だから、他の人と同じ様に扱って欲しいの」
「だったら、俺を頼ろうとは思うな。自分の力だけで仕事をしろよ」
厳しい表情を向けられて美幸はどんな顔をするのだろうかと、幸司は美幸の反応を見ていた。
しかし、幸司が予想する美幸の反応とは違い、厳しい口調で言われても笑顔を向けていることに違和感を覚えてしまう。
(こいつは何を考えている? 俺への恨みでも晴らそうと言うのか?)
チッと舌打ちをすると美幸に背を向ける。
「研修に遅れるなよ」
「はいっ!」
新人研修に戻れることになった美幸は満面の笑顔で会議室へと向かう。余程嬉しかったのか小走りで行くと「廊下は走るな!」と、背後から幸司の喝が飛んできた。