好きにならなければ良かったのに
勤務初日が終わると、美幸は一社員として帰宅していく。会社を出ると暗くなった夜空を眺めながら駅に向かって歩く。
そんな、美幸と同じく帰宅する先輩社員が美幸に声をかける。
「お疲れ、勤務初日はどうだった?」
美幸に声をかけたのは同じ部署の相田美津だ。とても優しそうな笑顔を向ける相田は、まだ社内では初々しい雰囲気のある人で、美幸は相田には親近感を感じる。
たぶん、相田の雰囲気がそうさせるのだろう。
「ずいぶん緊張したでしょう? なにせ、あの香川さんの研修だから。私だったら緊張と吐き気で一日が終わりそうだわ」
「緊張と吐き気?! あの香川さんて怖い人なんですか?」
「怖いのは課長かな? 口煩いのは、うーん、香川さんも優しそうであの冷たい目が痛いのよね。あ、でも、一番怖いのは日下さんかな~」
幸司の恋人の名前が出てくるとやはりビクリと反応してしまう。こんな状態では仕事など出来ない。もう少し強くならなければと、分かってはいるが、やはり、どうしても晴海の存在を気にしてしまう。
「あ、ごめんね、怖がらせるつもりで言ったんじゃないのよ。私って入社以来ドジばかりしてるから日下さんに怒られっぱなしで、あ、えと、こんな情報いらないよね?」
天然な人なのかまだよく分からないけれど、何となく嫌いになれない雰囲気の人だ。日下晴海の後輩として何年も一緒に働いてきた人ならば、何処まで真実を知っているのか、美幸は簡単に心を許して話せないと思っている。
それは、この相田に限らず営業部、いや、社内で働く社員全員が美幸にとって心許して話せる相手ではない。入社してそれに気付く美幸は幸司の支えになりたい気持ちだけで入社したことを、勤務初日にして後悔しはじめた。
「その、日下さんって、そんなに怖い人なんですか?」
本当は夫の恋人など聞きたくないけれど、やはり気になってしまうと、つい訊いてしまう。訊かなければ良いのにと思いながらも・・・
「きっと私が失敗ばかりするからと思うのよ、いつも怒られっぱなしで怒鳴られない日はないかなぁ」
今日の二人を見る限りは幸司を見つめる晴海の視線は優しくてとても熱くも感じた。けれど、同僚には冷たいのだと分かると晴海の性格を疑いたくなる。