好きにならなければ良かったのに
「美幸ちゃんは、結構いける口だったよね?」
メニューを見ながら吉富はそう言うが、今見ているのは料理の方のメニューではなく、飲み物と書かれた方を見ている。
明らかに『いける口』とはお酒を意味し、飲み物メニューからアルコールの類いを注文しようとしているのが分かる。
「私は、今日は、いいです。この後に予定があるので」
「へぇ、誰かとデートでもするの?」
咄嗟に頭を左右に振った美幸は困り果てた顔をする。もし、昨日に続いて今日も飲んで帰れば、幸司に何と言い訳をすれば良いのか。
幸司に問い詰められても昨日なら相田が歓迎会をしてくれたと言える。けれど、今日は、相田はいない。男性社員の、しかも、社内ではかなり性格の軽そうな、それでいて女に手の早そうな吉富が今日の相手だ。
とてもではないが、どんな拷問にかけられても、口が避けても吉富の名前は出せない。
「そんなに固くならなくて良いよ。とって喰おうなんて思ってないから。ああ、香川さんなら分からないよ。あの人は真面目そうでも利用できると思ったら……」
そこまで言いかけて吉富は言葉を止めた。
メニューを一通り確認するとそれを美幸へ渡す。美幸はメニューを受けとるとパラパラとメニューを捲る。
「ここで会社の話はやめよう。折角の時間が勿体無い」
「何か聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「……さあ、どうだろうね?」
美幸から自分が何者かを暴露することなど出来ない。勿論、それを匂わせる会話も避けなければならない。吉富が惚けた物言いをするのなら、自分もそれに合わせて話せば良い。
「もしかして、口説こうなんて思って誘ったんですか?」
「そうだね~、美幸ちゃんは可愛いからね。新卒の女の子って初々しいでしょ?」
「そ、そうですか?」
「普通はね」
どこか奥歯に物の挟まったようなセリフに美幸は逐一反応する。
「人妻にも彼氏がいる女にも俺は興味はないんだけどね。でも、君だけは特別かな?」
胡座を掻いて座る吉富は、両腕をテーブルに乗せると背中を丸めてテーブルに寄り掛かる。そしてニッコリ優しい笑顔を向けているようで、意味深発言が続くその瞳は好奇心にそそられている様な熱い瞳をしている。