好きにならなければ良かったのに
「私はその……」
「さてと、何を飲むか決めた?」
肝心な話は避けようとする吉富。それは美幸にとっても都合は良い。わざわざ自分から名乗らなくても良いのだ。吉富が聞かない以上は自分の口から余計な身の上話をする必要はないのだから。
けれど、逐一気に障る言い方には流石に美幸はそう何度も聞き流せない。やはり気分悪くなるし食事する気分にもなれない。第一、本当ならば今日は幸司の母親の誕生日祝いへ行くつもりだった。それが、吉富に『美幸ちゃんには聞きたいことが沢山有るけど、今夜はモチロン空いてるよね?』と嫌味ったらしく言われては無視できる筈もない。
「まだ決めてない? だったら俺のおススメはどうかな?」
「いえ、私はウーロン茶で結構です」
「冷たいね、そんなんじゃ晴海ちゃんと戦えないよ」
いきなり真髄を突かれた様でピクリと体が反応してしまう。思わず顔を上げて吉富の顔を見てしまった。すると、吉富は素知らぬ顔をして美幸が持つメニュー表を指で指している。
「これこれ、これが美味しいんだよ。オレンジジュースのカクテル」
「だけど……」
「ね、勿論飲むよね? 美幸ちゃん」
嫌とは言わせない威圧感が伝わる。一見チャラ風に見える吉富は、もしかしたらチャラ風ではなく相当な手練れなのかもと思わせる。女子社員を惑わすセリフで誘いだし無理矢理飲ませて夜を一緒に過ごさせようと言うものだろうかと。
こんな社員がいると最初に聞いていればのこのこと着いて来なかったと少し後悔し始めた。
「私は本当にウーロン茶で良いんです。昨日だって飲んで帰ったでしょ? 流石に二日連続でってのは」
「叱られるの? そんな人いるんだ?」
「そんなんじゃ……」
ニヤリと笑う吉富の表情から、何もかも知っていると言われている様で言葉に詰まる。かと言って自分から夫である幸司に叱られるとは言えない。
「だったら、今夜は俺と楽しもうよ。沢山飲んで食べて嫌なことはぜーんぶ忘れて思いっきり発散しよう」
「飲んで食べるだけ?」
「当たり前だろう。まさかワザと飲ませてホテルへ連れ込もうとしているって思った?」
呆気に取られて聞く吉富の顔を見ては、美幸はしっかり頷いていた。そんな美幸の態度に吉富はテーブルに伏せて頭を抱え込む。