好きにならなければ良かったのに
「俺は美幸なら結婚しても良いと思ったからプロポーズをしたんだ。後継者になる条件を突きつけられて最初は確かに頭に来た。俺には愛する恋人が居たんだからな」
拳を握りしめると、その手が少し震えている。病院のエントランスを見る幸司の瞳が悩ましげに見えると、青葉もまた複雑な表情をする。
幸司に相思相愛の恋人がいて、それを承知で息子に縁談を持ってきたのは父親でもある社長だ。当然のごとく跡継ぎだと思っていた幸司には、後継者になるための条件が突きつけられるとは思わなかった。
会社のために利用した大石父娘。そして、息子さえも利用した社長の遣り方は誉められたものではないし、青葉もまたその点については快く思っていない。
会社としてはヘッドハンティングから部長を守ったものの、その部長は病を患い結局は大事な人材を失う可能性は避けられそうにない。
「折角、会社のためにと社長がされたこの縁談を無意味なものにしないで欲しいのです。部長の為にも」
「美幸は俺には大事な妻だ。愛情なんてものは一緒に過ごせばいつか生まれるものさ」
「では、奥様を愛していらっしゃいますか?」
青葉は真剣な瞳で幸司の顔を見る。幸司の反応を逐一観察する。しかし、幸司は表情を変えることをしない。それどころか、無表情にも思える顔を見せる。
「美幸を抱きたいと思うのは愛情があるからだろう?」
「男は愛が無くても女は抱けます」
「……じゃあ、そうなんだろう」
エントランスへと向かう幸司に「夜間の出入り口はこちらです」と、声をかけた青葉はその後は何も言わずに夜間の出入り口へと幸司を案内する。
青葉の後を着いていく幸司の携帯電話から着信音が鳴り響く。その着信音に敏感に反応した幸司は急いで胸ポケットから電話を取りだし、画面を確認している。
青葉は足を止め「とうぞ、出てください」と、言うも、画面に表示されている名前を見た幸司は着信を拒否する。
「日下さんからですか?」
図星だった幸司は無言のまま止めた足を再び動かす。固い表情の幸司を見て小さな溜め息を吐く。すると、再び晴海からの着信音が鳴り響く。
「また電話はきますよ。出てください」
仕方なく幸司は通話ボタンを押して話をしようとすると、いきなり青葉に電話を取られてしまう。
「なっ、あお……」
青葉に手で口を塞がれると、突然の行為に驚きで幸司の顔も体も固まってしまう。