好きにならなければ良かったのに
幸司の言葉を聞いて安心したのか、そこでやっと義母に笑顔が見えた。しかし、それでもその笑顔も少し不安気な様子で、美幸を気にかけているのは隠せない。幸司は青葉に聞かされた言葉を思いだす。
『部長は、課長が奥様を裏切り愛人を囲っていると社内の噂に悩まれています』
病院の駐車場で青葉に言われた言葉が脳裏を過ぎる。
きっと、義父だけでなく義母の耳にも入っているのだと幸司にはそう思えた。だから、美幸が妻らしく振舞えているのかと、わざわざ鎌をかけるようにして尋ねたのだ。幸司は息が詰まる思いで義母の顔色を窺うと。
「安心しましたよ。美幸とうまく行っているようで」
義母に二コリと微笑まれてしまえば、幸司も笑って応えるしかない。美幸の義母に気付かれなかっただろうかと、内心ひやりとさせられた。
「今はお義父さんの容態も落ち着いている様ですから今日はこれで帰ります。お義母さんも無理なさらないで下さい。それに、手伝って欲しいことがあれば遠慮なく言って下さい」
「ありがとう、幸司さん」
「美幸の親は私の親でもありますから。実の息子だと思って遠慮しないで下さい」
自分でも不思議だった。これまで疎遠だった美幸の両親にこんなセリフが口からでるとは。美幸を裏切り続けている後ろめたさから、こんな口が聞けるのかと思わなくもない幸司。しかし、この時、病院の寝台に寝ている義父の姿や、その病気の夫を心配する義母の姿に素直に何か手伝えればとそう思えたのだ。
義母に深く頭を下げ挨拶を終えると、病室から出て行った幸司は駐車場へと行くと青葉へ電話を掛ける。
「聞きたい事がある、今、大丈夫か?」
『はい、今、車を路肩に止めていますので大丈夫です』
「ああ、悪い。じゃあ、後でかけ直そう」
『いえ、交通量の殆どない道路ですから、お気になさらないで下さい』
気にするなと言われると幸司は余計に神経質になり質問し難くなる。すると、喉元まで言いかけた言葉に詰まる。すると、それを察知したのか青葉が言葉を続ける。
『部長の事でしたら症状が悪化したから緊急入院したのではありません。ですが、早々に手術は必要だそうです。付き添いの必要はないそうですが、術後は自宅療養と定期的な通院が必要となるそうです』
青葉の説明を聞いた幸司は一先ずはホッと胸を撫で下ろす。緊急事態の様に聞かされていた幸司は義父の余命が宣告されたのかとかなり寿命が縮まる思いだった。