櫻の園
何もかも無かったことにして、自分の追いかけていた夢への道に戻る。

ちょっとした寄り道だったと、自分の人生に書き連ねることもしないで。

あたしに託された選択肢は、いつも自分を傷つけない方に傾くのだ。

だって、学校が禁止している演劇をわざわざ自分の身を危険にさらしてまでやり抜こうとする利益があたしにある?

面倒だって、一言で片づけてしまえばいいじゃない。

理由なんて、後付けなんて、いくらでも浮かんでくるのだ。


──でも。


「ここで放り投げちまったら、お前一生後悔すんぞ?」


涙が、溢れた。


洲の声が、耐えきれないように震えていたから。


みんなにとってあたしなんて、人生のほんの一部を共に過ごしたにすぎない…すぐに忘れられてしまう存在だと、ずっとそう思ってた。

あたしを本当に必要としてくれる人なんて、いないんだろうと思ってた。

あたしは傷つくのが怖くて、逃げて逃げてわざと見ないふりをしてきたのに。それでも追いかけてきてくれる、仲間ができたのだ。


どちらを選ぶ?今のあたしに、どっちが必要なのか。その答えは穏やかな夜の闇に、久しぶりに奏でた音楽の中に…確かにあった。


もう充分に逃げた。初めて捨てられないものを、見つけたのだ。


最近のあたしはすっかり涙もろいなぁ。今までずっと我慢してきた分が、ここにきて一気に爆発しちゃったみたいだ。

でもその蓋を外してくれたのは今目の前にいる洲で、あたしはこれからも素直に涙を流せていけるような気がした。洲の背中に、これ以上なく強く抱きついた。



「…洲、ありがとう」


東京を後にしてここに来たのは、遠回りなんかじゃなかった。一番、自分にとって大切なものを見つけたんだから。


今やらなきゃいけないことは、バイオリンじゃない。高校を卒業してからだって、もう一度夢を始めることはできるんだから。


しまい込むんじゃない。

封じ込めるんじゃない。


ただふと弾きたくなった時には、ケースの蓋を開けて好きなように弾けばいい。




そう、思った。









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