1ページの物語。
-ワスレナグサ-
とても暖かい、そう春の始まりの様な日だった。
「ねぇ、翠」
「はい」
お嬢様と2人、玄関の前で庭を眺める。
「もう教えてくれたって良いんじゃない?…貴方はお母様の何なの?」
「…ただの執事ですが」
視線を感じる…きっと隣にいるお嬢様は私を見つめているんだろう。
昨日までの私ならすぐに隣にいるお嬢様に身体ごと向けて目を合わせていた。
しかし、今日の私は気付かないふりをして未だ遠くを見つめる。
「もう誤魔化さなくても良いじゃない。
お父様は5年前に亡くなり、1週間前にお母様も亡くなった今、貴方がこうして誤魔化す理由はもうないでしょ?」
「はて、誤魔化すとは何のことでしょう…?」
頭を傾げた瞬間、腕を強く捕まれた。
やれやれ…こっちは老化で身体にガタがきているというのにこのお嬢様は。
仕方なく顔だけお嬢様に向ける。
すると眉間にシワを寄らせ、こちらを睨みつける視線と合った。
「惚けないで。貴方とお母様の関係よ。
小さな頃から2人の間にずっと不思議な雰囲気があったのは感じてた。
それは決して主人と召使いの雰囲気ではなかったわ」
「……」
「それは5年前、お父様が亡くなってからもっと増したわ」
私がこの屋敷に移り変わって28年という月日が経った。
一花様の娘のお嬢様も今ではこんなに大きくなって…。
特別な気持ちでお嬢様を見つめていると目の前のお嬢様は先程とは正反対な悲しそうな表情を私に向けた後花畑がある方へ視線を向けた。
「あの花畑にある青い花…お母様がこの不二家に嫁いだ日に植えたと聞いたわ」
色とりどりな花が咲き誇っている大きな庭の4割を占める花畑。
その花畑の中で青い花は一つだけ。
それ以外の青い花が咲いている所を私は見た事がない。
「あの花の花言葉を翠なら当然知ってるわよね?」
あぁ…この会話は…
「24歳になる貴方様から聞くとは」
あの日が蘇った気分だ。
「どういう意味よ…?」
「 一花様は24歳の時にこの不二家に嫁ぎました。
そして、結婚式の日に一花様にも聞かれました。
あの花…ワスレナグサの花言葉を」
まさかお嬢様にも聞かれるとは思っても見なかった。
「《真実の愛》、《友情》、そして《私を忘れないで》…ですね」
そう言えば一花様に聞かれた時は答える事はしなかったな…。
「お母様はその3つの内のどの意味を持ってあの花を植えたのかしらね。
ねぇ、翠……貴方とお母様は何なの?」
「…お嬢様はそれを聞いてどうなされるつもりですか?」
「…答え次第で貴方がこの屋敷から出る事を許可しないわ」
「そんな今になって言われても…」
屋敷も出て、荷物を纏めたトランクはもう足元にある、そんな今更になって言われても…苦笑いしか出ない。
「お母様は貴方のことが恋愛感情で好きだったんでしょ?
お父様ではない、貴方を…《真実の愛》。
そして貴方も…ねぇ、そうなんでしょ?」
あぁ…この娘は一花様にそっくりだ。
真っ直ぐ見つめる瞳はあの頃の一花様と違いが分からない位だ。
しかし、この娘にはずる賢さが無い、純粋一色だ。
「…じゃあ、言いましょう。
もうあの人たちもこの世にいない今、話す事も許されるでしょう」
何年経ってもこの瞳には弱いな…。
「私はこのお屋敷が大嫌いでした。
勿論、それは旦那様もその奥様の一花様も、そしてその2人のお子様のお嬢様も
大嫌いでした」
「…薄々感じてたわ」
「ここに仕え28年、『苦』しかなかった。
自室に帰るのがどれだけ辛かったか…。
お嬢様が先程から何回も聞いてきた質問の答えですが、一花様と私の間には本当に何もありません、あるのは主人とその執事。それだけです。
『真実の愛』なんて存在しません、お嬢様の予想は外れです。
ただあの青い花の意味…もうお分かりでしょうが、あれは一花様が作った私への呪縛です。
だから、そんな呪縛も伴って私は主人の不二一花様が亡くなった今、このお屋敷から解放されたいのです」
「解放…ね。
これから貴方は何処に行くの?」
「山城家に戻ります。
あの屋敷には『苦』もありますが『幸』もありますから」
「そう…最後に質問いいかしら」
「はい、何でしょう」
「貴方は誰を愛していたの?」
「勿論、『山城一花』です」
「そう…」
「もうこれで宜しいですか?
私も歳を取り、余り遅くに出ると疲れが溜まりますので。
後、あの青い花なんですがもうあの花を植える意味もありませんので変えても良いと思いますよ。
それでは、お元気で」
お嬢様の返事を聞くことなく、足元にあるトランクをゆっくり持ち上げ、広い庭を歩き出した。
そんな私の小さな背中を涙を流しながら見つめる視線に私は気付かない振りをした。
【ワスレナグサ】.....from『鳥籠の中の運命。』