寿聖宮夢遊録
私はその家に入るやいなや
「今日、ここに来たのは金進士さまに会うためなの。どうか、進士さまを呼んで来て下さい。」
と懇願すると、巫女はただちに使いを遣り、進士さまを連れてきました。
私たちは、お互い見つめ合ったまま何も言わず、涙を流すばかりでした。私は懐から手紙を取り出し進士さまに手渡すと
「夕方、もう一度来ますゆえ、進士さまはどうかこのままここで待っていてくださいませ。」
と言い残し、昭格署洞へと向かいました。
進士さまは巫女の家に留まり、私からの手紙を読み始めました。私の身の上と想いを綴った内容に胸を打たれた進士さまは、ただ、ただ涙を流し、魂を失ったようになってしまいました。
夕刻、私は皆よりも一足先に昭格署洞を発ちました。巫女の家で壁に向かって惚(ほう)けたように坐っている進士さまの姿を目にしたた私は、その想いの深さに改めて心を動かされ、
「進士さまは貴い御身にも拘らず、私のようなしがない者のために長い時間、このようなむさ苦しい所で待っていて下さったのですね。私は生涯、進士さまにのみ心を捧げたいと思います。」
と言いながら、はめていた雲南玉色の金の指輪を外して、進士さまの懐に滑り込ませました。そして耳元でこう囁きました。
「私は西宮に住んで居ります。進士さまは深夜、塀を乗り越えていらして下さい。」
その夜、私は紫鸞にことの一部始終を話しました。そして
「……たとえ今夜いらっしゃらなくても、明日はきっといらっしゃるでしょう。どのようにしたらいいかしら。」
と言うと、紫鸞は
「錦の帳を掛け、絹の褥も敷き、酒肴も整っているというのに、他に何が要るというの。」
と笑いながら応えました。
しかし、その夜は、進士さまはお見えになりませんでした。西宮のところまでは来たのですが、塀があまりに高かったため乗り越えられなかったのでした。
翌日、進士さまが浮かぬ顔をしていますと、下僕の特〈トク〉が近付いてきて
「若さま、お顔の色が悪いようですが、何か心配事でもおありなんですかい?」
と尋ねました。この者は人の表情を窺うことに長じていました。
あと一歩のところで想いを遂げられなかった進士さまは、為す術が無いといった口調で、その理由を応えました。すると特は
「なんだ、そんなことでしたら簡単ですよ。」
と言って、どこかへ飛んでいきました。間もなく戻ってきた彼は、何処で調達したのか、折り畳み式の梯子を担いで来ました。
「これを使えば、寿聖宮の塀など一っ跳びで乗り越えられますよ。」
こう言いながら、彼は庭で実演までして見せてくれました。
「これは良い。」
進士さまは満面に喜色を浮かべました。
その夜、進士さまは特とともに西宮近くの塀に向かいました。梯子を掛けると、特は懐中から皮鞋を取り出し、
「これを御履きになればよろしいかと。」
と言って進士さまに手渡しました。鞋を履き替えた進士さまは、素早く梯子を登り、塀を乗り越えました。
そこは木が多く林のようになっていましたが、幸い月が明るかったため支障はありませんでした。建物のある方へ歩いていくと
「どなたかいらっしゃるの?」
と女の声がしました。
「年若き者ですが、風流の心に打ち勝つことが出来ず、死を覚悟してここまで来てしまいました。」
進士さまがこう応えると
「早く出ていらっしゃいませ。」
と言いながら進士さまが現われるのを待ちました。声の主が進士さまを確かめると
「お待ちしていました。どうぞ、こちらへ。」
と私の部屋に案内しました。
「今日、ここに来たのは金進士さまに会うためなの。どうか、進士さまを呼んで来て下さい。」
と懇願すると、巫女はただちに使いを遣り、進士さまを連れてきました。
私たちは、お互い見つめ合ったまま何も言わず、涙を流すばかりでした。私は懐から手紙を取り出し進士さまに手渡すと
「夕方、もう一度来ますゆえ、進士さまはどうかこのままここで待っていてくださいませ。」
と言い残し、昭格署洞へと向かいました。
進士さまは巫女の家に留まり、私からの手紙を読み始めました。私の身の上と想いを綴った内容に胸を打たれた進士さまは、ただ、ただ涙を流し、魂を失ったようになってしまいました。
夕刻、私は皆よりも一足先に昭格署洞を発ちました。巫女の家で壁に向かって惚(ほう)けたように坐っている進士さまの姿を目にしたた私は、その想いの深さに改めて心を動かされ、
「進士さまは貴い御身にも拘らず、私のようなしがない者のために長い時間、このようなむさ苦しい所で待っていて下さったのですね。私は生涯、進士さまにのみ心を捧げたいと思います。」
と言いながら、はめていた雲南玉色の金の指輪を外して、進士さまの懐に滑り込ませました。そして耳元でこう囁きました。
「私は西宮に住んで居ります。進士さまは深夜、塀を乗り越えていらして下さい。」
その夜、私は紫鸞にことの一部始終を話しました。そして
「……たとえ今夜いらっしゃらなくても、明日はきっといらっしゃるでしょう。どのようにしたらいいかしら。」
と言うと、紫鸞は
「錦の帳を掛け、絹の褥も敷き、酒肴も整っているというのに、他に何が要るというの。」
と笑いながら応えました。
しかし、その夜は、進士さまはお見えになりませんでした。西宮のところまでは来たのですが、塀があまりに高かったため乗り越えられなかったのでした。
翌日、進士さまが浮かぬ顔をしていますと、下僕の特〈トク〉が近付いてきて
「若さま、お顔の色が悪いようですが、何か心配事でもおありなんですかい?」
と尋ねました。この者は人の表情を窺うことに長じていました。
あと一歩のところで想いを遂げられなかった進士さまは、為す術が無いといった口調で、その理由を応えました。すると特は
「なんだ、そんなことでしたら簡単ですよ。」
と言って、どこかへ飛んでいきました。間もなく戻ってきた彼は、何処で調達したのか、折り畳み式の梯子を担いで来ました。
「これを使えば、寿聖宮の塀など一っ跳びで乗り越えられますよ。」
こう言いながら、彼は庭で実演までして見せてくれました。
「これは良い。」
進士さまは満面に喜色を浮かべました。
その夜、進士さまは特とともに西宮近くの塀に向かいました。梯子を掛けると、特は懐中から皮鞋を取り出し、
「これを御履きになればよろしいかと。」
と言って進士さまに手渡しました。鞋を履き替えた進士さまは、素早く梯子を登り、塀を乗り越えました。
そこは木が多く林のようになっていましたが、幸い月が明るかったため支障はありませんでした。建物のある方へ歩いていくと
「どなたかいらっしゃるの?」
と女の声がしました。
「年若き者ですが、風流の心に打ち勝つことが出来ず、死を覚悟してここまで来てしまいました。」
進士さまがこう応えると
「早く出ていらっしゃいませ。」
と言いながら進士さまが現われるのを待ちました。声の主が進士さまを確かめると
「お待ちしていました。どうぞ、こちらへ。」
と私の部屋に案内しました。