寿聖宮夢遊録
 進士さまが部屋に入るやいなや、私は立ち上がり、その手を取りました。私たちは、西と東に分かれて坐ると、さっそく紫鸞が酒肴を運んで来てくれました。私は紫霞酒を注ぎ、進士さまに勧めました。杯を三回ほど巡らせた時、進士さまが
「今は何刻だろうか。」
と言うと、紫鸞は部屋を出ていきました。
 燈を消した後、私は進士さまと床に入りました。東の空が白み一番鶏が鳴くまで、私たちは共に過ごしました。以後、進士さまは夜中にやって来て夜明けとともに帰るといった生活となりました。当然、西塀の下には足跡が残り、宮女たちは皆、私と進士さまの関係を知るようになり、そのことを危ぶみました。
 また、進士さまもいつまでもこうした状態が続けられるとは思えず、近い将来必ず禍(わざわい)を招くだろうと思い、気が重くなるばかりでした。そんななか特がやってきて
「若さま、先日のお礼のほう、まだ頂いてませんが……。」
と報酬の要求をしました。
「分かっておる。すぐにやる。」
 進士さまがこう応えても、特はなおも留まり
「若さま、まだ、御心配事がおありなんですかい?。」と尋ねたので、進士さまは呟くように言いました。
「逢えない時は心身が病み、逢った後は大罪を犯した不安に襲われる。まったくどうすればいいのだ。」
「だったら、いっそのこと、その女人を連れて逃げればいいんじゃないですかい。」
 特の言葉に進士さまは思わず頷きました。
 その夜、例のごとく西宮に忍び込んだ進士さまは、特の言葉を私に告げました。私は、進士さまに従うことにしました。
「……ただ、ここには私が宮に入る時、父母が持たせてくれた多くの衣服や装飾品、大君から賜わった様々な品があります。これらを置いて行くわけには参りません。しかし、馬十頭にもなる荷物をどうやって運び出したらいいのでしょう……。」
 翌朝、帰宅した進士さまは特を呼び、このことを話しました。特は内心大いに喜びながらも、そうした素振りはまったく見せず応えました。
「なに、そんなに難しいことじゃありませんよ。わたしの友人に力自慢の者が十七人おります。奴らに手伝わせれば簡単ですよ。」
 私は進士さまが言うままに、夜になると荷物を運び出し、すべて終わるまで七日間かかりました。荷物を完全に進士さまの家に移した特は
「こんな多くの貴重な品物をこちらに置いておいたら〝お上〟から疑われますよ。かといって、わたしの家に置いたら周りの者どもが不審に思うでしょう。」と言いました。
「では、どうすればいい。」
進士さまの問いに特は次のように応えました。
「山の中に埋めてしまうのが一番ですよ。」
 特の言うことはすべてもっともだったので、進士さまは同意せざるを得ませんでした。
「もし、これらが失せてしまったら、私もお前も盗人の汚名を着なくてはならないぞ。分かったか。」
 進士さまが厳しく言うと
「任せてください。わたしと仲間たちで昼夜見張っていますので、誰も近付けませんよ。」
特は胸を張って応えました。このように表面では忠義を尽くしている特でしたが、内心はとても凶悪でした。彼は、荷物を隠したのち、進士さまと私も山に引き入れ、進士さまを殺した後、私と財物を横取りするつもりだったのです。世情に疎い進士さまは、こうしたことには一切気が付きませんでした。
 そうした最中、大君は以前建てられた匪懈堂の縣板に刻む詩を広く求められていましたが、秀作が得られませんでした。そこで宴席を設け、進士さまを招いて作らせることにしました。進士さまは筆を執ると、たちまちのうちに書き上げました。その内容は、匪懈堂周囲の景色を余すところ無く描き、まさに風雨を驚かせ鬼神を泣かせるものでした。大君は称賛なさりながらおっしゃいました。
「不意に今日また王子安に会えた。」
 そして、その詩を吟じ始められましたが、〝随墻暗窃風流曲〟の部分になると不審を抱かれ口を閉ざされました。進士さまは立ち上がり拝礼して
「かなり酔いが廻ってきたようなので、これにて退席したく思うのですが、宜しいでしょうか。」
と言いましたので、大君は童僕に送らせました。
 翌日の夜、私のもとに来た進士さまは
「大変なことになった。昨夜の詩で大君は私に疑いを抱かれたようだ。今、逃げなければ禍を免れないだろう。」 
と告げました。私は昨夜の夢見がよくなかったので、こう応えました。
「昨晩、夢の中に冒頓と名乗る獰悪な男が現われて〝前世からの取り決めがあるゆえ、長い間長城の下で待っていた〟と言うのです。私は驚いて目を醒ましました。これは悪い兆候のようですので、進士さまは、よく考えられたほうがいいと思うのですが……。」
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