ベターハーフ(短編集)
どうしよう。急用ができたことにして帰ってしまおうか。いやいや、急な呼び出しも急な出張もない部署に勤めているわたしに、どんな急用があるというのだ。親や兄弟を急病にしたてあげたとしても、わたしの父や兄とは飲み友達、母とはメル友という大ちゃんには、すぐバレてしまうだろう。わたしの友人もしかり。
むしろ、気まずいからという理由だけで、大ちゃんに嘘を吐きたくはない。
それなら大人しく、何も見なかったことにして、大ちゃんからのプロポーズを待つしかない。
ただしここでもひとつ問題が。
この緩む頬を、隠し通す自信がない。
自然に上がる口角を揉み解し、深く息を吐く。
彼はいつ、どんな風に、どんな顔で、どんな声で切り出すのだろう。何と言ってくれるのだろう。
きっと素直な大ちゃんのことだから、飾らない、ストレートな言葉だろう。
夜景が綺麗に見えるレストランで、なんて。慣れないことを考えてはいないだろうか。無理なサプライズを計画していないだろうか。
そんなことを考える度、揉み解した口角がまた上がっていく。
いけない。こんなことじゃあ、大ちゃんの計画を無駄にしてしまう。
でも……。
だって……、だって嬉しくて仕方がない……!
大ちゃんの顔見たら絶対、いつプロポーズされるのかなあってどきどきしちゃうもの! にやにやしちゃうもの! ていうか今すでにしてるもの! だって嬉しいじゃない! 大ちゃんが密かにそんな計画を立てているなんて! こっそり指輪買って、こっそり役所で書類もらってきて、こっそり結婚情報誌で情報収集してるなんて! 可愛くて愛しくて、ますます好きになっちゃうもの!
少しして、トイレットペーパー片手に帰って来た大ちゃんは、わたしの顔を見て「何か良いことあった?」と首を傾げた。
わたしはもう一度緩む口角を揉み解し「そそそんなことよりご飯食べよう」と、激しくどもりながら立ち上がった。
こんなんじゃ、ばれるのは時間の問題。今はただ、一刻も早く大ちゃんが計画を実行に移してくれるのを待つばかり。
(了)