【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
――雄大な大地をさらに南下していたダルドたちの群れは、いつの日か銀狐が生息していないところまで来ていた。
そのためか仲間たちは増えることなく減り続けていく一方だった。
『お前は不思議だな。まるで時の流れに逆らっているかのように若いままだ』
優しい笑顔を向けてくれた彼だが、その眼差しには羨むような……どこか寂しさを含んだ色が入り混じっていた。
自分の身がいつまでも若いままであることをあまり気に留めていなかったダルドだが、徐々に弱り始めた彼の姿を見るたびに不安が芽生えてくる。
『……ぼく、ひとりになりたくない。君と一緒にここに残るよ』
やがて……ある程度の大きさだった彼らの群れも、いまではたった二頭のみとなってしまった。
そして、もう走ることが難しくなった彼の傍に寄り添うようにダルドは腰をおろした。
『……だめ、だ……お前はこのまま走り続けろ』
長い年月走り続けた彼の逞しい足腰も、いまは痩せ細り……もうこの山を越えることは出来ないであろうことは予測できた。
『ううん。ぼくは遠くに来たかったわけじゃない。皆と、君と走るのが楽しかったから今までついてきたんだ』
ダルドは年老いた彼を労わるように鼻先でその体を優しくなでる。
『…………』
これからひとりになるであろう臆病で寂しがり屋なダルドに掛ける言葉が見つからないのか、勇敢で凛々しかった彼はただジッと耳を傾ける。
『もう仲間は君しかいない。このまま進んでもぼくは孤独に耐えられず死んでしまうよ』
すると黙っていた彼がやっと口を開いた。
『……馬鹿だな。お前はこの悠久を知らな過ぎる。その眼差しを外へ向けるんだ……それに、言っただろう? 新たな仲間を……見つけろ。お前を理解、してくれるやつが……必ず……い、る……』
『……っぼくのこんな体、気持ち悪いだけだよ! きっと誰にもっ……』
老いを知らず、自然の摂理に逆らったような自身の体に感じるのは悲壮感にも似た絶望だった。
ガックリと肩を落とすダルドへ、ふっと笑いかけた彼は最後の力を振り絞り、かつての鋭い眼光をその瞳に宿しながら立ち上がる。
『まだ何も知らない子狐のくせに……今から諦めて、どうする?
この悠久……の、王のことも……知らないんだろう?』
『……悠久の王……?』
さらに南の地を見つめるその力強い眼差しに食い入るように魅入っていると、かつての勇ましい彼の姿が重なって涙が出そうになる。
『この大地を、覆っている……偉大な気配に気がつかないとは……やっぱりお前は子狐のダルドだな!』
ほんの少し意地悪く言葉を発した彼だが、それが嫌味ではなく……面倒見のよい彼が見せる大きな愛だとわかる。
今さらに彼の存在の大きさを実感し、知らず知らずのうちに熱い涙が頬を伝った。
『そうだよっ……! ぼくは子狐のダルドだから、君と一緒じゃなきゃ走れないんだっ……!!』
『あぁ、ずっと一緒だ。……俺の、俺たちの夢とともに走れ……。
お前がすべきことを……お前にしかできないことを、この広い世界で見つけてみろ!』
仲間や自分の夢をダルドに託した彼は、ダルドを心配するような優しい微笑みを浮かべながら……それから間もなく堂々と駆け抜けたその生涯に幕を下ろした――……。
――夢を抱き続け、常に前を行く立派な彼の最後の言葉を今でも覚えている。
そしてダルドはずっと考えていた。
(……彼がこの体だったらどんなに幸せだったろう……)
夢や希望にあふれた立派な彼ならば、きっともっと素晴らしい人生を送っていたはずだ。
各地を旅し、心から信頼できる仲間たちにもたくさん出会えたに違いない。
「なにもせず北の大地へ戻ってきたって知ったら……君はぼくを笑う、かなっ……」
切なく、あたたかな思い出に目頭はどんどん熱くなっていく。
「帰ろう……ぼくの故郷へ……」
意を決したダルドはゴシゴシとバスローブの袖で目元をこすり顔を上げた。
すると――……
――ヒュッ!
風を切り裂く音が響き、ダルドの真っ白な頬を何かが掠めながら勢いよく通り抜けていった。
「……え?」
通り過ぎた方向へ目を向けると、すぐ傍の樹木に柄の長い物が突きたてられているのが見えた。
疑問に思ったダルドは近づき、その正体をはっきり視界に捉えた彼の背筋はゾクリと嫌な汗が流れ、顔は急激に青ざめていく。
「そ、そんなっ……」
ダルドの瞳にうつったそれは……猟師(キニゴス)が持っていた矢と全く同じものだったからである。
腰を抜かしそうになりながら恐怖に後ずさりするが、頬に感じた違和感が激しく熱を帯び――……
「……な、に……これっ……」
ガクッと体中から力が抜けたダルドは勢いよく片膝をついた。
ドクドクと危険を知らせる鼓動が高鳴り、自由を失った彼の体はそのまま崩れるように冷たい大地へ倒れこんでしまった。
「……か、体がっ……」
必死に立ち上がろうと手足に力を込めるがただその身は震え、ダルドの呼吸は徐々に荒く苦しくなっていく。
野生の勘が鋭い彼は虚ろな瞳で周囲を探ろうと懸命に見開く。
すると――
男のものと思われる泥まみれの靴が視界をよぎり、やがて目の前で立ち止まる。
「おっと、無理に動こうとするなよ? その矢には弱い毒が塗ってあるからな。……なるほどこいつは上玉だ。仲間を犠牲にしてまでお前を追いかけて正解だったぜ……」
あまりにも冷たく欲望に満ちた男の声が響き、ダルドの五感はこれ以上にない命の危機を叫んでいた――。
そのためか仲間たちは増えることなく減り続けていく一方だった。
『お前は不思議だな。まるで時の流れに逆らっているかのように若いままだ』
優しい笑顔を向けてくれた彼だが、その眼差しには羨むような……どこか寂しさを含んだ色が入り混じっていた。
自分の身がいつまでも若いままであることをあまり気に留めていなかったダルドだが、徐々に弱り始めた彼の姿を見るたびに不安が芽生えてくる。
『……ぼく、ひとりになりたくない。君と一緒にここに残るよ』
やがて……ある程度の大きさだった彼らの群れも、いまではたった二頭のみとなってしまった。
そして、もう走ることが難しくなった彼の傍に寄り添うようにダルドは腰をおろした。
『……だめ、だ……お前はこのまま走り続けろ』
長い年月走り続けた彼の逞しい足腰も、いまは痩せ細り……もうこの山を越えることは出来ないであろうことは予測できた。
『ううん。ぼくは遠くに来たかったわけじゃない。皆と、君と走るのが楽しかったから今までついてきたんだ』
ダルドは年老いた彼を労わるように鼻先でその体を優しくなでる。
『…………』
これからひとりになるであろう臆病で寂しがり屋なダルドに掛ける言葉が見つからないのか、勇敢で凛々しかった彼はただジッと耳を傾ける。
『もう仲間は君しかいない。このまま進んでもぼくは孤独に耐えられず死んでしまうよ』
すると黙っていた彼がやっと口を開いた。
『……馬鹿だな。お前はこの悠久を知らな過ぎる。その眼差しを外へ向けるんだ……それに、言っただろう? 新たな仲間を……見つけろ。お前を理解、してくれるやつが……必ず……い、る……』
『……っぼくのこんな体、気持ち悪いだけだよ! きっと誰にもっ……』
老いを知らず、自然の摂理に逆らったような自身の体に感じるのは悲壮感にも似た絶望だった。
ガックリと肩を落とすダルドへ、ふっと笑いかけた彼は最後の力を振り絞り、かつての鋭い眼光をその瞳に宿しながら立ち上がる。
『まだ何も知らない子狐のくせに……今から諦めて、どうする?
この悠久……の、王のことも……知らないんだろう?』
『……悠久の王……?』
さらに南の地を見つめるその力強い眼差しに食い入るように魅入っていると、かつての勇ましい彼の姿が重なって涙が出そうになる。
『この大地を、覆っている……偉大な気配に気がつかないとは……やっぱりお前は子狐のダルドだな!』
ほんの少し意地悪く言葉を発した彼だが、それが嫌味ではなく……面倒見のよい彼が見せる大きな愛だとわかる。
今さらに彼の存在の大きさを実感し、知らず知らずのうちに熱い涙が頬を伝った。
『そうだよっ……! ぼくは子狐のダルドだから、君と一緒じゃなきゃ走れないんだっ……!!』
『あぁ、ずっと一緒だ。……俺の、俺たちの夢とともに走れ……。
お前がすべきことを……お前にしかできないことを、この広い世界で見つけてみろ!』
仲間や自分の夢をダルドに託した彼は、ダルドを心配するような優しい微笑みを浮かべながら……それから間もなく堂々と駆け抜けたその生涯に幕を下ろした――……。
――夢を抱き続け、常に前を行く立派な彼の最後の言葉を今でも覚えている。
そしてダルドはずっと考えていた。
(……彼がこの体だったらどんなに幸せだったろう……)
夢や希望にあふれた立派な彼ならば、きっともっと素晴らしい人生を送っていたはずだ。
各地を旅し、心から信頼できる仲間たちにもたくさん出会えたに違いない。
「なにもせず北の大地へ戻ってきたって知ったら……君はぼくを笑う、かなっ……」
切なく、あたたかな思い出に目頭はどんどん熱くなっていく。
「帰ろう……ぼくの故郷へ……」
意を決したダルドはゴシゴシとバスローブの袖で目元をこすり顔を上げた。
すると――……
――ヒュッ!
風を切り裂く音が響き、ダルドの真っ白な頬を何かが掠めながら勢いよく通り抜けていった。
「……え?」
通り過ぎた方向へ目を向けると、すぐ傍の樹木に柄の長い物が突きたてられているのが見えた。
疑問に思ったダルドは近づき、その正体をはっきり視界に捉えた彼の背筋はゾクリと嫌な汗が流れ、顔は急激に青ざめていく。
「そ、そんなっ……」
ダルドの瞳にうつったそれは……猟師(キニゴス)が持っていた矢と全く同じものだったからである。
腰を抜かしそうになりながら恐怖に後ずさりするが、頬に感じた違和感が激しく熱を帯び――……
「……な、に……これっ……」
ガクッと体中から力が抜けたダルドは勢いよく片膝をついた。
ドクドクと危険を知らせる鼓動が高鳴り、自由を失った彼の体はそのまま崩れるように冷たい大地へ倒れこんでしまった。
「……か、体がっ……」
必死に立ち上がろうと手足に力を込めるがただその身は震え、ダルドの呼吸は徐々に荒く苦しくなっていく。
野生の勘が鋭い彼は虚ろな瞳で周囲を探ろうと懸命に見開く。
すると――
男のものと思われる泥まみれの靴が視界をよぎり、やがて目の前で立ち止まる。
「おっと、無理に動こうとするなよ? その矢には弱い毒が塗ってあるからな。……なるほどこいつは上玉だ。仲間を犠牲にしてまでお前を追いかけて正解だったぜ……」
あまりにも冷たく欲望に満ちた男の声が響き、ダルドの五感はこれ以上にない命の危機を叫んでいた――。