【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

"世界"が必要とするもの

 まもなく来るであろうロイを待ちながらキュリオとダルド、アオイの三人は目の前に出された飲み物に口を付け、他愛もない会話を楽しむ。

「ダルド、休まずに作業を続けてくれたのだろう? 軽い食事でも用意させようか?」

 茶の時間さえ取らずに働き続けたダルドだが、キュリオの心配をよそに彼は"夢中になると空腹であることを忘れる"のだと、さらりと言ってのけた。
 キュリオと出会って城で過ごすようになってからは、決まった時間に食事が与えられたため彼の日課となったが、銀狐だった頃のダルドは朝昼晩と三度の食事をしていたわけではない。さらには空腹であっても獲物を捕らえることができなかった日は川の水で空腹をしのいだ。

「……それよりキュリオ。僕たちが初めて出会った夜のこと覚えている?」

「うん? 
あぁ、昨日のことのように覚えているよ。どうかしたかい?」

 慣れた手つきでアオイにミルクを飲ませながらキュリオが小首をかしげる。

「……うん。森でのはなし、キュリオは僕に王様であることを言いたくないように見えたから……」

 それはキュリオにとって無意識だった可能性もあるが、ダルドはずっと気になっていた。
 最初から受け入れてくれるつもりでいたのなら王であることを隠す意味はないような気がする。それとも……わずかな時間、顔を合わせただけの者に名乗る必要性を感じなかったのか? それとも他の意図があったのか……。

「そんなこともあったね」

 ふっと笑ったキュリオはアオイを抱きながら彼女の背を軽く叩き、一度目を閉じるとダルドへと視線を戻した。

「いずれわかることなのになぜ? という顔をしているな」

「……そう、それがずっと聞きたかった」

 無表情なままダルドがそう答えると、水の入ったグラスに口をつけたキュリオが口を開いた。

「君があのとき必要としていたのは"悠久の王"ではない。"仲間"だったからさ」

 そう語るキュリオの頭の中を再び先代の言葉が巡って。
 "あぁ……そういうことか"と、納得したように心の中で呟いた。


『世界が"何か"を望んだとき、その力を持った人物が生み出され……すべてが大きく変わるだろう。そして――』

『その"世界"自体が一個人の"誰か"かもしれない』

 
 ここで例えるならば、一個人のダルドが"仲間"を望み、その"世界"はダルドという解釈になる。
 すなわちそれは……

("世界"は誰にでも当て嵌(は)まる。
そして"その力"が必ずしも"王の力"である必要はない。
……ようやく言葉の意味がわかった気がするな……)


「……、あ……」


 冷たい雨が降ろうと、銀狐であることが楽しかったのは仲間に囲まれて旅を続けていたからだ。本当にそれだけでよかった。それが……ひとりになってからというもの、なにひとつ楽しい記憶などなく……。
 
 ダルドが幸福を感じるのは"仲間"が居てこそ生まれるものであり、キュリオが王であるかどうかは問題ではなかった。

「だが、すぐに素性が明らかになってしまったからね。隠さずに伝えたほうが良かったのかもしれないな。君を傷つけてしまっていたら、申し訳のないことをしたね」

 悲しそうにトーンを下げたキュリオだが、ダルドは彼の心と言葉にどれほど救われただろう。

「ううん、それがキュリオの優しさだってわかるから……間違っていない」

「ありがとうダルド。そう言ってもらえてよかった」

 キュリオの隣りで話のわからぬアオイはじっとふたりの様子を見ていたが、彼らの間に流れる穏やかな空気を感じ取り、やがて満面の笑みを浮かべて声を上げた。

「きゃぁっっ」

 手をヒラヒラさせて楽しそうに笑うアオイ。驚いたキュリオとダルドは彼女へと視線をうつし、顔を見合わせるとクスリと笑った。

「ふふっ、私の娘は賢い子だろう?
時に大人の会話を理解出来ているのではないかと思うことがあるんだ」

「うん。たぶんアオイ姫にも伝わってる」

 アオイの心からの笑顔には不思議な力がある。周りの者を幸せに導くような……そんなあたたかさが滲み出た優しいものだった。
 彼女の微笑みに魅了され、早くからそのことに気づいていたキュリオ。その優しい笑顔が陰ってしまわぬよう、彼はどんなことも厭(いと)わないだろう。

「キュリオはアオイが必要としていたもの、わかった?」

 聖獣の森に置き去りにされていたというアオイ。少なからず似た境遇にあった彼女へダルドは親近感を覚えた。

「そうだね……」
 
 愛しそうに指先で彼女の頬を撫でていたキュリオはピタリと手を止めて。

「……この子が必要としていたのか、それとも私が必要としたのか……」

「……うん」

 幼子を凝視しているキュリオに違和感を感じたダルドだが、じっと次の言葉を待つ。

「愛だ」

 迷わず答えたキュリオの瞳は真剣そのものだった。
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