【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

ヴァンパイアの王の返事Ⅰ

キュリオと光の精霊が別れたころ、中庭で女官に抱かれていたアオイは彼の出て行った庭園の入口をじっと見つめていた。するとその視線に気が付いた女官は赤子の顔を覗きこみながら微笑む。

「キュリオ様のお姿が見えないから不安なのね? 大丈夫、すぐ戻って参りますよ」

小さな背中をポンポンと叩き、寂しさを紛らわせようと努める女官。そんな二人の様子を頭上から見つめている紅の瞳がある。
彼は懐へしまったキュリオの書簡を広げ再び目を通す。

「いくら<慈悲の王>だからって出生不明のガキをあいつが育てるなんてこと……ありえんのか?」

書簡に記された赤子の特徴を確認するも、フードをかぶっている赤子の顔や髪の色は見えず、ましてや悠久の王へ直接聞くほど仲が良いわけではないためすべて仮説となってしまう。
 そんなことを考えているうちに、数人の家臣を引き連れているらしいキュリオの大きな気配がこちらへ向かっていることに気づく。

「もう戻ってきやがった」

おもむろに周囲を見回した漆黒の青年は視線の先にある城の上層階に狙いを定め、純白のバルコニーへ舞うように飛び移る。軽い身のこなしで着地した彼は開いている窓から中の様子を探り、#人気__ひとけ__#がないことを確認すると、窓辺に手をかけヒラリと室内へ侵入を果たした。黒く艶やかな短髪が風に揺れ、己の纏う香りの中に別の香りが混ざる。

「……血の匂い……」

(この胸糞悪い感じはキュリオのものか)

さりげなく室内を見渡すと、部屋の一角に置かれた真っ白な机の上に小さなナイフが置いてある。近づいた彼はスッと目を細め、不快な匂いがそこから発せられているのだと確信した。置かれた家具や調度品、敷き詰められた絨毯のすべてが洗練された美しさと品に溢れ、特別な人物が利用する部屋であることは一目瞭然だった。

「予想外だが好都合だ」

机に広げられた紙と羽ペンを拝借し"該当者なし"とだけ走り書きを残す。そして軽く指を弾くと、その先に現れたのはサイン代わりの漆黒の羽だった。

「……お前の大切なガキをヴァンパイアにしてやるのも一興だと思わないか?」

特別な愛情を注ぐ人間がもしヴァンパイアだったら<慈悲の王>は一体どうでるだろう? 嫌気がさして殺してしまうか? それとも国外追放にするだろうか――?
意味深な笑みを浮かべる紅の瞳の先では、先ほどキュリオが愛おしそうに抱いていた赤ん坊がいる。まだ言葉も話せず、誕生して間もないと思われるその少女を纏う空気はどこまでも柔らかく、時折風にのって聞こえてくる彼女の声は鈴の音のように心地良い。

(アオイと言ったな。せいぜい俺を楽しませてくれよ)

バルコニーへ向かった彼の背に現れた翼は闇よりも暗く、光に満ちた悠久には似つかわしくないほどに淫らだ。
 やがて目的を達した彼がキュリオの死角から空へと舞いあがると――

「…………」

 視力もまだ弱いはずの赤子が女官に抱かれたまま頭上一点を凝視している。その視線に気づいたわけではないが、宙を舞う青年が何気なく振り返った。

「……あのガキ……」

(俺に気づいた……?)

高度を上げた彼と、幼いアオイの視線が交差したのはほんの数秒の出来事だった。二人のそれは現れたキュリオの背によって遮られ、互いの姿は見えなくなってしまったが、これがただの偶然か必然的に彼の姿を見つけたのかはわからない。

「アオイ?」

 女官の腕から抱き上げられ、キュリオの胸の中におさまった愛らしい子は心ここに非ずといったように銀髪の王と視線を合わせようとせず、背の高い彼の肩からさらに上方を見上げようと、キュリオの胸元にしがみついた。

「……?」

いよいよ異変に気が付いた銀髪の王が肩越しに振り返ると……
彼の驚異的な視力だからこそわかる、遥か彼方を行く黒い翼をもった人影をその視界にとらえた。

「……何しに来た」

赤子に向ける眼差しとは打って変わり、とたんに氷のような鋭い瞳でその姿を睨んだキュリオ。知らず知らずのうちに抱きしめる腕に力がこもり、驚いたアオイが小さく声をあげた。

「……んぅ、……」

もう先ほどのように何かに夢中になっている様子はなく、大きな瞳に戸惑いの色をのせてキュリオを見つめていた。

「っ、痛かったかい? すまない……」

我に返って小さな体を優しくなでると、後方に控えていた家臣が控えめに言葉を発する。

「……いかがいたしましょうキュリオ様、このまま調査を続行いたしますか?」
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