神様修行はじめます! 其の五
 届かない声を振り絞るあたしの目の前で、水園さんは意を決したように敵に背を向け、人魚のような見事な泳ぎで逃げだした。


 よし、それでいい! 『逃げるが勝ち』ってのは、立派な戦法なんだよ!


 ところが、それを追う異形の方が動きが素早かった。


 霧状の形態の一部が細長く伸びたかと思うと、その先端が水園さんの足首に、目にも止まらぬスピードで絡みつく。


 それはまるで、カメレオンの舌が獲物を捕らえるときような、目視もできないほどの凄まじい速さだった。


「……!?」


 驚愕の表情を浮かべた水園さんは、なんとか逃れようと必死になって暴れまくった。


 けれど異形はそんな抵抗なんかお構いなしに、彼女の体を悠々と引っ張り込もうとする。


「水園さん! 水園さ――ん!」


 もはや待ったなしの危機的状況に、あたしは血相変えて叫ぶことしかできない。


 ゆっくりゆっくり、水園さんの体が異形の本体へと近づいていく。


 行き着く先は、明白な死。あの美しい顔が、極限の恐怖によって歪んでいく。


 彼女は顔を引き攣らせ、目を剥いて、なりふり構わず泣き叫び始めた。


 自分の生命に縋りつくように、自分を救う何かを求めるように、白く華奢な両腕がジタバタと水を掻く。


 死にもの狂いの水園さんの顔から、さらに血の気が引いて、彼女の体がビクリと大きく痙攣した。


 ついに異形が……水園さんの体を飲み込み始めた。


 足から腰へ、腰から背中へ、背中から首へ……じわじわと黒い『死』が、彼女を侵食していく。


 ショック状態に陥ったのか、それともすでに体が動かないのか、水園さんは死に飲み込まれながら抵抗ひとつしなかった。


 ガックリと首を垂れているその姿に向かい、あたしは声を限りに叫び続ける。


 こんなの、ないよ!


 クレーターさんにとって水園さんは、あの凄惨な悲劇の果てに、たったひとりだけ残された希望なのに!


 彼女はクレーターさんが生きる意味なんだよ! お願いだから彼女を奪わないで!


「やめてやめてやめて――! やめろおぉぉ―――!」


 ノドの奥から声を絞り出して絶叫しても、あたしの声も思いも、どこにも届かなかった。


 逃れられない『死』に取り込まれゆく姿を見つめる、無力なあたしの目に……


―― カアァァァ……!


 純白の強烈な術光が飛び込んで、一瞬、視界のすべてを奪った。
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