神様修行はじめます! 其の五
「里緒、そろそろ名前ぐらいつけてあげたら? いつまでも『子猫ちゃん』のままじゃ不便よ?」


「いいんだよ。それは子猫ちゃん自身が決めることなんだから」


「なんなのそれ? 意味が分からないわ」


「分からなくていいの。子猫ちゃん、行こう」


 グスグスと盛大に鼻をすすって、手で涙をゴシゴシ拭きながら玄関に上がったあたしは、真っ直ぐ自分の部屋へ直行する。


 背中から「なんなのかしらねぇ? うちの娘は変な子ねぇ」って、お母さんの笑い声が聞こえた。


 その、なにも知らないノンビリした口調が切なくて、また胸が張り裂けそうになる。


 せっかく拭いた涙が両目に盛り上がってきて、泣き声が出そうになってしまった。


 あたしは必死に唇を噛みしめながら小走りに廊下を進んで、子猫ちゃんと一緒に部屋の中へ飛び込んだ。


「戻ったか。小娘」


「絹糸」


 勉強机の上に寝そべっていた絹糸が、顔を上げてこちらを見た。


「みっともない泣き顔をさらしおって。……今ならまだ間に合うぞ? ここに留まるか?」


「ううん」


「本当にそれで良いのか? 今一度、よく考えい。別れはつらいぞ?」


「それを言ったら絹糸と子猫ちゃんだってそうじゃん」


 別れの選択をしたのは、実はあたしだけじゃなかった。


 子猫ちゃんはもう、神の一族の世界には戻らない。


 このまま天内家のペットとして、現世でずっと暮らしていく事になっているんだ。


 別れ別れとなってしまう親子を交互に見ながら、あたしは熱心に聞いた。


「ねぇ、ふたりとも本当にそれでいいの? もう会えなくなっちゃうんだよ?」


「苦渋の決断で現世と断絶することになったが、たとえわずかであっても未来に希望を繋ぎたい。ならばそれは我が子が適任じゃ」


 絹糸が、子猫ちゃんをじっと見つめている。


「もしかすればいつの日か、再びふたつの世界が交じり合う日が来るやもしれぬ。その時、双方の架け橋となる者が必要なのじゃ」


 もしかしたら。ひょっとしたら。


 そんな、ほんの小さな砂粒ほどの儚い希望。


 いつ訪れるか、本当に来るのかどうかも全く分からないその日は、あまりに未知で遠すぎる。


 五年先? それとも十年先? 百年? 千年?


 そんな当てのない、果てもない年月を生き続けることが可能な存在なんて神獣ぐらいのものだ。


 だから絹糸が強く主張したんだ。子猫ちゃんを現世に送るべきだって。


 自分は門川君のそばを離れるわけにはいかないから、その代わりにって。


 それが永遠の別れになるかもしれないことを承知のうえで……。
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