神様修行はじめます! 其の五
「うっ……。だ、大好ぎ……」


 お茶碗とお箸をテーブルの上に置いて、頬を流れる涙をゴシゴシ拭きながら、あたしは言った。


「ま゛、真美のことも……お父さんのことも、お母さんのことも……だ、大好ぎぃ……」


 派手にしゃくり上げながら盛大に鼻水すすってるから、まるで呼吸困難に陥ってる人みたい。


 口から出る声は濁音ばかりで、まともに話すこともできないけど、それでもどうしてもこれだけは言いたい。


「あ、あだし……お父゛さんとお母゛さんの子どもで、よかった……。真美と出会えて、よがったぁ……」


 どんなにどんなに伝えても、この気持ちのすべてを伝えきれない。


 もっともっともっと、普段からいっぱい伝えておけばよかった。


『ありがとう』とか、『ごめんなさい』とか、『うれしい』とか、『楽しい』とか。


『しあわせ』とか、『大好き』とか。


 こんなにも伝えたいのに。一生分の思いを伝えたいのに。


 もう二度と伝えることができなくなる今、胸が一杯で、まともに声すら出ないなんて。


 どうして……伝えたい時に限って……


 一番必要で、一番大切なことは、伝えられないんだろう。


「里緒が進路のことでこんなに真剣に悩む日がくるとはなぁ。里緒も大人になってしまったんだなぁ」


 しんみりしているお父さんに、お母さんが檄を飛ばす。


「なに言ってるのよ、お父さん! まだまだよ! これから進学させて、就職させて、お嫁にだって出さなきゃならないんだから!」


「……やっぱり嫁に出すのか? いやいや! お婿さんをもらうって手もあるぞ?」


「今どきの少子化事情じゃ難しいわね。それにお婿さんをもらうなら、支度金をたっぷり用意しないと」


「たしかに、まだまだ頑張らないとな。かわいい孫の顔を見るために」


「そうね。孫育ても楽しみだわねぇ」


 そんな日は……


 たぶん訪れることはないだろう……。


 なのに、それを知ることもなく楽しそうに話しているふたりの前で、あたしはもう、ますます泣くばかりで。


 せっかくのお母さんの手料理を食べることもできない。


 すごい勢いで必死に両目をゴシゴシしているあたしの様子を、ふたりはちょっと呆れた顔で見ている。


 でも、本当のことを言うわけにはいかない。


 どんなに言いたくても、言えない。


 一番言わなきゃならない『ごめんね』も、『許してください』も。


『さようなら』も。


 言えないんだよ、お父さん、お母さん……。


 ごめん……ね……。



『もういい加減に泣き止んでご飯を食べなさい』って叱られながら、あたしはお箸をギュッと握りしめて、ボタボタと涙を流し続けることしかできなかった。

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