清楚な優等生は小悪魔系?(仮)
しん、と教室中が一瞬で水を打ったように静まりかえった。緊張の糸をぴんと張ったまま、クラスメートは日頃から何かと目立つ二人の成り行きを見守る。
薫子は、瞼を縁取る長い睫毛をぱちぱちと二、三度震わせて口を開いた。
「……どちらへ?私、あまり帰りが遅くなることはできないけど」
「えっと、そうじゃなくて、須川さんに俺の彼女になってほしいんだ」
薫子の言葉になるほど、付き合うってそっちか、と納得しかけたクラス一同だったが、タカキのダメ押しの告白でやっぱりそっちかい、と心中でツッコミをいれざるを得なかった。
「……私、早乙女くんのことまだ何も知らないから、急にそんなこと言われても……」
「そうだよね、だからまずお互いのことを知るために俺と仲良くしてほしい。仲良くなったらまた改めて告白するから」
タカキの無駄に爽やかながら押しの強い告白に、薫子は数瞬悩む素振りを見せたものの、やがてこくりと頷いた。
「わかったわ。まずはお友達から」
「ありがとう、須川さん。この後、用事ないなら一緒に帰らない?」
分厚い文庫本をぱたりと閉じて黒色の学生鞄にしまいながら薫子は立ち上がった。それを了承の意だととらえたタカキは、未だ固まったままこちらを見つめるクラスメートに、
「じゃあ、みんなさよなら」
と無駄に爽やかな挨拶を送り薫子を連れて颯爽と教室を去って行った。その瞬間ぷつんと緊張の糸が切れたクラスはざわざわと今の一部始終について語りだす。
「王子と委員長が付き合っちゃった……」
ぽつりと女生徒がこぼした言葉に、委員長ならしょうがない、だとか委員長には手を出せない、など飛び交ったのは二人の与り知らぬ話。
(やってしまった……)
タカキはそもそも薫子に告白なんぞする気はなかった。自分の問題に薫子を巻き込むのは悪かったし、好きでもない女子に告白するのは相手に失礼だと思っていたからだ。だが、初めて薫子を目の前にして、二つの鳶色がかった夜空に吸い込まれそうになって、それまで考えていたことが全て飛んでしまった。そして、小さな桜色がこぼす少しハスキーな声が、自分の名を紡ぐのを聞いて、もっと呼んでほしいと思った。
思ったら、知らないうちに告白をごり押ししていた。よく知りもしない相手から告白される煩わしさは、自分がよく知ってると思っていたのに。これでは親衛隊の女子と変わらない。
(須川さん、困ってるだろうな…何て言えばいいんだろう)
隣で切り揃えられた黒髪を揺らしながら姿勢良く歩く薫子を見下ろして、タカキはこっそり溜息を吐いた。
「あなたのお家の最寄り駅は?」
「……え?」
考え事をしながら歩いていたせいで、いつの間にか学校の最寄り駅に到着していたことに気づかなかった。
ぼんやりしているタカキに、ほっそりした眉根をよせて薫子が再度、あなたの家の最寄り駅、と繰り返す。
「あ、俺は病院前」
「そう、じゃあ私と同じね」
感情の読めない声で呟いた薫子はすたすたと改札口へ向かって行く。須川さん待って、と慌てて定期券を出しながらタカキは後を追いかけた。
「家まで、送るよ」
「……そう」
鈍行列車で五駅ほど揺られ、二人の最寄り駅に降り立ったタカキは薫子へ軽い笑みを向けた。そこでタカキはきょろきょろと周りを見渡し、あ、と声をあげて何かを見つけたように駆け寄る。
「ほら、これ俺のおすすめ」
「これは?」
「たい焼き、最近俺はまってて」
大事そうに二つのちいさな紙袋をかかえて駆け戻ったタカキは、熱いうちに食べて、と薫子に差し出す。思わず反射で受け取った彼女は、渋々と言ったように包みを開いた。
「須川さん、頭から食べるんだ」
「尻尾から食べる方が珍しいと思うけど」
尻尾をちまちまとかじるタカキを胡乱げな眼差しで見やってから、勢い良くぱくりと頭から齧り付いた薫子は思いっきり顔をしかめてタカキに告げた。
「クリーム味なんて、邪道よ」
(可愛い……)
こじんまりとした桜色の端にクリームをちょこんとつけてたい焼きとは何たるか語り出した薫子は、学校の優等生然としたイメージとは違って新鮮で、少し子供ぽかった。タカキは、少し考えてから腰をかがめて薫子に近づき、吐息が触れそうな距離まで顔を寄せて、左の人差し指でそっと唇の端を拭った。
そしてその指をぺろりと舐め、
「ん、やっぱり美味しい。須川さんはクリームたい焼き、気にいらなかった?」
ふわりとした笑みを向けて薫子を見下ろした。
見下されたわなわなと肩を震わせた薫子は、
「信じられない!」
と叫んで、つかつかと歩きながら、慌てて追いかけてきたタカキに衛生観念を懇々と説き続けた。
(須川さん、耳真っ赤)
俺の指、そんなにきたないかな、と少ししょんぼりしながらタカキは薫子の説教にぺこぺこと頭を下げ続けたのだった。