近すぎて
「だったらさ、俺のフィアンセになってよ」

危うく、まだコーヒーの残るカップを持ち損なって落としそうになる。
溢す寸前だったコーヒーとあり得ない千崎さんのセリフに、私の心臓は倍速で脈を打つ。

この人は、いったい何を言い出した?

「実は年末年始かけて、田舎の母親が縁談をもって上京してくる予定があってさ。いくら断っても聞かないから、結婚を考えている相手にでも会わせれば諦めるかと」

「つまり、私に偽の恋人になれということですか?」

ああ、びっくりした。
気持ちと心臓を落ち着かせるため、冷めかけのコーヒーを流し込めば、甘さが喉に引っかかる。

「話が早くて助かるな。付き合っているヤツがいないなら、一日くらい大丈夫だろう?」

まるで郵便物の発送を頼むような口振りの千崎さんに、私は頭を下げた。

「すみません、できません。お断りします」

「なんでだ?」

「千崎さんは、お母さんに嘘をつくつもりなんですか? それに私は例え振りとはいえ、付き合ってもいない人の婚約者になんてなれません」

つい非難めいた口調になってしまう。
口調だけじゃない。きっとすごいしかめっ面をしているのだろう。千崎さんの整った顔が困ったように歪む。

「近頃ずいぶん角が取れて丸くなったんじゃないかと思ってたけど、やっぱり上杉は変わらないな」

ポン、と頭の上に手のひらをのせられ、ぐりぐりと撫でられる。
その手の重みで下を向いた私の頭上に降ってきた言葉は、またしても驚くものだった。

「じゃあ、付き合えば引き受けてくれるってことか」

「はあっ?」

開いた口が塞がらないうちに、彼は畳みかける。

「とりあえず、俺と付き合ってみろよ。もちろん結婚も視野に入れて。それなら騙すことにはならないだろう?」












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