近すぎて
「送ってく」

コートのポケットから車のキーを出した慎司が駅前のコインパーキングに足を向けようとしたけど、私はその場から動かない。

「いいよ。そんなに遠くないから、歩いて帰る」

自宅までは徒歩でも十五分ほど。まだ少し残るアルコールを抜くにはちょうどいい。

「なら、行くぞ」

「え?待ってよ」

当然のように歩き始めてしまったコートの背中を掴んだ。

「明日も仕事なんでしょう?慎司も早く帰って休んで」

そのために切り上げたというのに、余計な時間をとらせては本末転倒である。

「ちゃんと帰れたか心配しながら運転するより、安全だし効率的だろ?」

「でも……」

「こんなところでグダグダしている時間のほうがもったいない」

慎司は眉尻を下げている私の額を軽く小突き、その手で左手を握ってきた。
手袋をしていないのにごついけど温かい手は、それ以上の反論を許さないくらいしっかりと組まれてしまう。

冬の夜空はこんな街中でもけっこうキレイに星が見えた。十年以上通い慣れた道のりが、慎司と並んで歩いているというだけで、ガラリと印象を変える。それも、手を繋がれたままなら余計だ。

息が一瞬白く吐き出されるくらい寒いはずなのに、身体の左半分からポカポカとした熱が広がっていく。

……初恋の高校生か!

自分の心に入れたツッコミが、もうすべてなのだろう。
『好きになれるか見極める』どころじゃない。私は慎司に『堕ちて』いる。

たぶん、一年前のあの日から。

この交差点を渡れば、両親が待つ家だ。

「ありがとう。ゴメンね、お茶の一杯も出せなくて」

「らしくもない気、使うなよ。逆に薫が実家暮らしでよかった」

街頭で変な陰影の付いた慎司の顔が、苦笑いをつくる。私は一度くらい一人暮らしをしてみたかったけど。

「最近はオートロックでも安心できない世の中だからな。エレベーターとかでも、気をつけろよ」

他愛もない話をしているうちに、横断歩道の信号が青に変わってしまった。

赤のままだったら、まだ一緒にいられたのに。
手を繋いでいられたのに。

そんな想いも虚しく、門扉の前で手が離される。

「あのね、慎司。私……」

「再来週の週末、大丈夫だよな?」

「あ、うん」

約束の一年後。
私が答えを聞くのはそのときに、ということか。

「じゃあ、また連絡するから。おやすみ」

「おやすみなさい。気をつけて帰ってね」

小さく振った左手が、あっという間に冷たい空気に包まれた。







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