近すぎて
「その状態で電車に乗るつもりか?タクシーだって乗車拒否されるぞ」

……確かに大惨事を招きそうで反論できない。だけど、だって、慎司とここに?

「明日の朝の飛行機で帰るつもりだから、部屋を取ってあったんだ。少し休んでいけ」
「でも」

夜空に向かってそびえる建物を見上げた。無数に灯る部屋の明かりがクリスマスツリーみたい。

「心配すんな。失恋でヤケ酒して泥酔してる女を襲ったりするほど飢えてない」
「そんな事っ!?」
「それともお姫様だっこで連れて行こうか?」

一瞬で顔に熱が集まって更に足下が覚束なくなった私を支えながら、慎司はホテルの玄関をくぐってしまった。

九州にある実家の輸入家具店を継ぐためにUターン就職し、全国どころか世界中を飛び回っているという慎司は、慣れた様子でチェックインを済ませる。先に預けていた荷物を持つベルボーイと共に、ロビーのソファで項垂れていた私の元へと戻ってきた。
差し伸ばされた慎司の手を僅かに残ったプライドで断り、足に力を込めて立ち上がる。それでもやっぱりふらつく私の腰に、彼はごく自然な仕草で腕を回した。

乗り込んだエレベーターはぐんぐん昇っていく。部屋はずいぶん上の階みたいだけれど、酔いと慎司から仄かに漂うムスクの香りで確認する余裕ができないまま到着してしまう。
足音を完璧に消す毛足の長い絨毯を進んだ先にある部屋に案内され、息を呑んだ。

大人二人が余裕で眠れるサイズのベッドにもだけど、その向こうに広がる窓一面の夜景!まだ夜も早い時間だからか、眼下の首都高を走る車や東京湾に浮かぶ船の数も多い。それらが蠢く光の軌跡と林立するビルの明かりに目を奪われた。

自宅と職場の往復を繰り返すだけの毎日。下を向きアスファルトの地面ばかり見ていて、自分の生活の場が毎夜こんな綺麗に輝いている事を知らなかった。なんてもったいない。

酔いも忘れ、ずいぶんと長い間子どもの様に大きな窓に張り付いていた。

「少しは気が晴れたか?」

不意に後ろから声をかけられて、独りでなかった事を思い出す。

「ごめん。すっかり……」

振り向いた私の頭にふわふわのタオルがかけられる。

「顔、酷い。洗ってくれば?」

指摘されて頬を触れば、明らかに涙の流れた跡がわかる。やだ私、いつの間に泣いていたんだろう。
< 2 / 31 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop