近すぎて


慎司からの電話がかかってきたのは、タイミングが悪いことに、待ち合わせしたホテル一階の化粧室で手を洗っているときだ。
濡れた手をハンカチでぞんざいに拭く。バッグの底に潜ってしまった携帯を手探りで見つけ、取り出す際に爪を引っかけてしまう。

我ながら要領の悪さにうんざりしつつ出た電話の内容は、さらに私の気分を落ち込ませるものだった。

唐突に途切れた会話。携帯の画面を凝視してもその答えは出ない。
こちらからかけ直してみたけれど、無機質な案内が聞こえるばかりでらちがあかなかった。

週末で人の出入りも多いロビーの、身体を包むように沈むソファーに座り込む。

プレミアムホテルという場で浮かないよう選んだ服は、ロイヤルブルーのシンプルなワンピースだ。スクエアに開いた首元を、真珠がひと粒だけのネックレスで飾り、耳にも同じくバールのティアドロップピアス。

ここへ来る途中で寄ったネイルサロンのお姉さんに「デートですか?」とからかわれるくらいには、いつもよりちょっとだけ念入りにヘアメイクを整えた。

そんな私が、絶望的な顔をして携帯にため息を落としているのだ。周りはきっと「あらら……」と気の毒に思っているに違いない。

『泊まっていったら…』

通話が中断される間際に遠くから聞こえてきた声は、女の人のものだった。

土曜日にもかかわらず仕事だと言っていた慎司。契約を交わすためにちょっと遠出するとも聞いている。
ただの取引先の人に違いない。なにかの聞き間違いかもしれない。
慎司は戻ると言っていた。それを信じて待っていればいい。

赤いストラップを握って立ち上がる。
卒のない接客を続けるフロントマンに声をかけた。

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