近すぎて
* ベタすぎて
◇ ◇ ◇
ふたりは年末の上野を甘くみていた。
アメ横へ向かう人の流れに巻き込まれないよう、しっかりと指を絡ませ手を繋ぎ辿り着いた第一目的である動物園は、待望の赤ちゃんパンダの公開が開始されたことにより大混雑。
ベルトコンベアに乗せられたかのようにパンダ舎の前を歩かされ、写真に収めるどころか、吞気に笹を食べる母パンダの後ろに隠れてしまった、丸っこいお尻を遠目に確認できただけだ。
上背のある慎司でさえそうなのだから、薫などはもっと見辛かっただろう。
入場そうそう、どっと疲れてしまった。
それでも、家族連れで賑わう園内を、アラサーのふたりは互いの手を握ったまま見学して廻り、やっとみつけた空きベンチに腰掛けた。
慎司の手にはホットコーヒー。人いきれにのぼせた薫は、この寒空の下にもかかわらずソフトクリームを食べている。
「何度か来たことあるけれど、こんなに混んでいるのは初めてかも」
「へえ。いつ?何回くらい?」
自身は初来園の慎司の目がすっと細められたが、薫は気付かない。
「結構来たわよ。小学校の遠足でしょう?高校のときは学校の友達とも来たし、家族でも何回か来たなあ。それと……」
左手の指を折りながら数えていた薫が、不意にそれを途中で止める。右手で放っておかれたソフトクリームが、ゆっくりと溶け始めてきていたからだ。
コーンに垂れそうになる寸前を、上に向かって舌ですくい取る。それを何度か繰り返し、クリームの山を小さくしてからようやく会話が戻った。
「慎司は、本場でパンダを見たことがあるんだっけ?」
「ん?ああ、仕事で行ったついでに足を延ばして寄ったことがある」
「いいなあ。いっしょに写真撮ったりできるんでしょう?」
ひと目見るだけでもこれだけ大変な日本では、とうてい無理な望みである。
いつか中国へ行き絶対にツーショットで写真を撮ろうと決意して、薫は最後のひと口を頬張った。
「そういえば、赤ちゃんの名前ってなんだっけ?」
一般公開開始前に公募で選ばれたものが発表されていたはずだが、薫の記憶には残っていない。パンダ舎に掲げられていたプレートは、人の頭で見えなかった。さっそく携帯を取りだし調べ始める。
なかなか目当ての記事を探し当てることができずにいたら、みかねた慎司の口からあっさり赤ちゃんパンダの名前が告げられた。
「なんで知ってるの?」
目を丸くして訊ねると、さらに予想外の返答がぼそりと呟かれる。
「……名付けに応募してたから」
「え?ホント!?採用されたの?」
慎司はばつが悪そうに顔を背けて首を横に振った。そんなに気合いを入れた名前を考えたのだろうか、という興味が薫にわく。
「そっかあ、残念だったね。で、どんな名前にしたの?」
ところが慎司は、その問いには答えてくれなかった。
「いま考えれば、選ばれなくって良かったんだ。日本で産まれたパンダでも、いずれ中国に返さなければいけないんだろ?」
辛そうに眉根を寄せる。
それほどまでにパンダに思い入れがあったとは知らなかった。意外に思いつつも、薫はやっぱり気になってしまう。
「それで?慎司はなんていう名前で応募したの?」
紙コップを握る手に自分の手を重ねて詰め寄った。
間近から上目遣いで迫られた慎司は、渋々といった様子で口を開く。
「……クンクン」
「なんだ、かわいい名前じゃない」
響きは悪くないと思う。薫には、慎司がなにをそんなに言い渋る必要があったのかがわからない。
無邪気にニコニコと笑う薫から慎司が携帯を奪い、なにやら文字を手早く入力した。
ある一種類の漢字がふたつ並ぶ画面が目の前に突き付けられ、途端に薫の顔が朱くなる。
「ああ、かわいい名前だろう?こんな名前を付けられたヤツが、俺の知らない場所に連れ去られるなんて、とてもじゃないが耐えられない」
そこには『薫薫』と、彼女の名が繰り返されていた。
fin.
2017/08/04 UP
※中国語の発音では『薫』は『クン』と読まないそうなのですが、そこはご容赦くださいませ。
ふたりは年末の上野を甘くみていた。
アメ横へ向かう人の流れに巻き込まれないよう、しっかりと指を絡ませ手を繋ぎ辿り着いた第一目的である動物園は、待望の赤ちゃんパンダの公開が開始されたことにより大混雑。
ベルトコンベアに乗せられたかのようにパンダ舎の前を歩かされ、写真に収めるどころか、吞気に笹を食べる母パンダの後ろに隠れてしまった、丸っこいお尻を遠目に確認できただけだ。
上背のある慎司でさえそうなのだから、薫などはもっと見辛かっただろう。
入場そうそう、どっと疲れてしまった。
それでも、家族連れで賑わう園内を、アラサーのふたりは互いの手を握ったまま見学して廻り、やっとみつけた空きベンチに腰掛けた。
慎司の手にはホットコーヒー。人いきれにのぼせた薫は、この寒空の下にもかかわらずソフトクリームを食べている。
「何度か来たことあるけれど、こんなに混んでいるのは初めてかも」
「へえ。いつ?何回くらい?」
自身は初来園の慎司の目がすっと細められたが、薫は気付かない。
「結構来たわよ。小学校の遠足でしょう?高校のときは学校の友達とも来たし、家族でも何回か来たなあ。それと……」
左手の指を折りながら数えていた薫が、不意にそれを途中で止める。右手で放っておかれたソフトクリームが、ゆっくりと溶け始めてきていたからだ。
コーンに垂れそうになる寸前を、上に向かって舌ですくい取る。それを何度か繰り返し、クリームの山を小さくしてからようやく会話が戻った。
「慎司は、本場でパンダを見たことがあるんだっけ?」
「ん?ああ、仕事で行ったついでに足を延ばして寄ったことがある」
「いいなあ。いっしょに写真撮ったりできるんでしょう?」
ひと目見るだけでもこれだけ大変な日本では、とうてい無理な望みである。
いつか中国へ行き絶対にツーショットで写真を撮ろうと決意して、薫は最後のひと口を頬張った。
「そういえば、赤ちゃんの名前ってなんだっけ?」
一般公開開始前に公募で選ばれたものが発表されていたはずだが、薫の記憶には残っていない。パンダ舎に掲げられていたプレートは、人の頭で見えなかった。さっそく携帯を取りだし調べ始める。
なかなか目当ての記事を探し当てることができずにいたら、みかねた慎司の口からあっさり赤ちゃんパンダの名前が告げられた。
「なんで知ってるの?」
目を丸くして訊ねると、さらに予想外の返答がぼそりと呟かれる。
「……名付けに応募してたから」
「え?ホント!?採用されたの?」
慎司はばつが悪そうに顔を背けて首を横に振った。そんなに気合いを入れた名前を考えたのだろうか、という興味が薫にわく。
「そっかあ、残念だったね。で、どんな名前にしたの?」
ところが慎司は、その問いには答えてくれなかった。
「いま考えれば、選ばれなくって良かったんだ。日本で産まれたパンダでも、いずれ中国に返さなければいけないんだろ?」
辛そうに眉根を寄せる。
それほどまでにパンダに思い入れがあったとは知らなかった。意外に思いつつも、薫はやっぱり気になってしまう。
「それで?慎司はなんていう名前で応募したの?」
紙コップを握る手に自分の手を重ねて詰め寄った。
間近から上目遣いで迫られた慎司は、渋々といった様子で口を開く。
「……クンクン」
「なんだ、かわいい名前じゃない」
響きは悪くないと思う。薫には、慎司がなにをそんなに言い渋る必要があったのかがわからない。
無邪気にニコニコと笑う薫から慎司が携帯を奪い、なにやら文字を手早く入力した。
ある一種類の漢字がふたつ並ぶ画面が目の前に突き付けられ、途端に薫の顔が朱くなる。
「ああ、かわいい名前だろう?こんな名前を付けられたヤツが、俺の知らない場所に連れ去られるなんて、とてもじゃないが耐えられない」
そこには『薫薫』と、彼女の名が繰り返されていた。
fin.
2017/08/04 UP
※中国語の発音では『薫』は『クン』と読まないそうなのですが、そこはご容赦くださいませ。