近すぎて
ゆったりとしたバスタブに浸かりたい衝動に駆られるけれど、寝落ちする自信が大有りなのでシャワーブースで我慢する。何、このアメニティの充実ぶり!?
ドロドロの顔もアルコールの残る身体もさっぱりさせ、フローラルの香りを纏って現れた私に、慎司がげんなり顔で頭を抱えた。

「妙に長いから嫌な予感はしてたけど……。薫がそんなにSだとは知らなかった」
「折角だから泊まってあげるだけ。バスローブじゃなくて残念だった?」

さすがに肌触りのいいバスローブは諦めナイトウエアを拝借した私は、ミネラルウォーターを一気飲みする。
豪華な部屋がもったいないという庶民的考えが大半だけど、明朝には地元に帰る慎司とこれきりになるのももったいない、というずるい気持ちもちょっとだけあって。

「昔はよく慎司の家に集まって、徹夜でDVD鑑賞したよね。あの頃みたいに一緒に映画でも観よう」

ホームシアターのあった彼のマンションが、サークル仲間の溜まり場になっていたのだ。

「ああ、もう。勝手にしろ。知らないからなっ!」

乱暴にネクタイを引き抜き、バスルームへと消えていく。点けた大画面テレビから古い仏映画が流れた。
間接照明の室内で白黒字幕のそれを眺めていると、だんだん甘い響きのフランス語が子守歌に聞こえてくる。程なく私はソファに沈み込んでいた。


翌朝。ベッドに大の字で寝ていた私を、赤い目の慎司が揺り起こす。

「爆睡しているとこ悪いけど、飛行機の時間があるから」
「え?うわあ、ごめん!!」

飛び起き、失礼は承知で何事もなかった事を密かに確認しつつ身支度を調える。そんな百年の恋も冷める状態にも、慎司はなぜか満足げな笑みで、ガイドブックの写真みたいな朝食を摂っていた。
焼きたてのクロワッサンにふわふわのスクランブルエッグ。フレッシュなオレンジジュースが若干二日酔いの胃にしみる。
恐る恐る、ホテルに無理を頼んで変更したという下の階だった部屋とこの部屋の料金を半分支払うと申し出たら、「これ以上恥をかかせるな」と一蹴された。


羽田行リムジンバス乗り場。

「今度、出張で来た時にでもご馳走させて」

実現未定の約束を口にした私に、彼はまた笑みを深める。

「言ってなかったけど、実はこっちに支店を出す計画があって。来年の頭からしばらく東京に住む予定」
「はい?」
「という訳で、来年の今日までに絶対堕としてみせるから」

唖然とする私の額に唇を押し付け、彼はバスに乗り込んでしまった。

「寝顔、可愛かった!」

動き出したバスの窓を開け叫んだ彼に、もう答えが出てしまった気もするけれど。
悔しいから、来年またこの場所に戻ってくる時までは内緒にしよう。
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