近すぎて
「な、なに?」

タオルケットをたぐり寄せできた隙間から、子猫のようにびっくり顔を覗かせる彼女の顔を、俺は再び中に隠してしまった。

「被ってたら寝顔は外から見えないだろ?それでも心配なら、誰よりも早く起こしてやるから」

「だけど慎司は?」

「俺はもう一本観たいのがあるから」

それが終わるころには夜が明ける。リモコンを操作して、次の映画を探し出す。

「ん、ありがとう。じゃあ、一本分だけ……」

くぐもった声が途絶えたかと思うと、ソファーの肘掛けにもたれかかるモスラの繭のような薫ができあがっていた。
音量をミュートにして選んだ映画は、言うまでもないだろう。


責任感が強くて意地っ張りで、情にもろいくせに自分には厳しい。そんな彼女を見続けているうちに、もっと距離を縮めたくなっていった。

だけど、俺の目が無意識に薫を追ってしまうように、薫もまた、恭一の姿しか見えていないことに気づいてしまえば、ソファーの反対側にいる彼女までの僅かな物理的な距離が、地球の裏側まであるのように感じていた。

恭一と小百合が付き合い始めてからも、結局その距離は埋められずに大学生活が終わりを告げる。
卒業後は地元に戻ることが決定事項だった俺は、精神的な距離に物理的なそれも加われば諦められるだろうと、後ろ向きな考えを抱いたまま薫のいる東京をあとにした。

距離と月日は、きっと伝えることさえできなかった恋を忘れさせてくれる。そう信じて――。



それなのに昨日、俺が知っている中で一番はしゃいでいる薫をみて、彼女の恋はまだ決着が付いていなかったことを知る。

傍目には友達の結婚が心から嬉しくて仕方がない、というふうにみえているのだろう。だが、四年間彼女をみてきた俺には、それが精一杯の虚勢だとすぐにわかる。
必死で長年の恋心を終わらせようとしているようにしかみえなかった。

そして自分自身もまた、彼女への想いを捨てられずにいたことに気づいてしまった。

始めなければ終えられない。なにも行動を起こせずにいた過去を後悔する暇があったら、今、この時にできることをしよう。

そう思い立ったら、迷わず彼女の手を捕まえていた。


ガラス窓にうっすらと映る、初めて見た彼女の泣き顔。後ろから抱き締めたくなる衝動を堪え、静かに見守る。
寝顔さえ見られるのが嫌なのだから、泣き顔はなおさらではないかと思ったからだ。

男の俺からすればただの生活の灯りにしか見えない高層からの夜景は、彼女の心になにかの変化をもたらすことができたらしい。

頃合いを見計らって声をかけた。
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