失恋相手が恋人です
「お邪魔します」

葵くんは律儀にそう言って部屋に入ってきた。

この部屋に彼を迎え入れるのは初めてだ。

さっきまで萌恵が来ていたので、部屋はきちんと掃除してある筈だけど……何だか落ち着かない。

さっきの思いがけない告白とキスの衝撃や恥ずかしさが抜けない私だったけれど、葵くんから持ってもらっていた荷物を受け取り、適当に片付けた。

葵くんはそんな私の背中をじっと無言で見ていた。

「……ねぇ、沙穂?」

ドキリとする低く私の心に響く声。

私はドキドキしながら振り返る。

トン、と。

私の額にぶつかるのは葵くんの細身だけどガッシリした胸もと。

背中にまわされた長い腕の感触に、抱きしめられていることを悟る。

「……どうしたの?」

いつもは彼が私によく使うこの台詞。

私が顔をあげて尋ねると葵くんは少し困ったような表情で私の髪を撫でた。

「沙穂が好きなんだ、本当に」

ゆっくりともう一度ハッキリ口にする葵くん。

私は葵くんがその先を、何か言いたげにしていることを感じた。

「沙穂、沙穂の失恋相手ってこれから先も顔を合わせることある?」

言いにくそうに、不愉快そうに葵くんはさっきとはうって変わって厳しい表情で私に聞いた。

私はきちんと今こそ本当のことを言わなきゃいけないと思った。

葵くんと想いが通じあって、本当に嬉しい。

あり得ないと思っていた。

彼が私を大切に大事にしてくれるのは約束したからだと。

彼の心を向けてもらえる存在になりたいと、何度願っただろう。

まさか葵くんが私をそんな風に想ってくれていたなんて、夢のようでいまだに信じられない。

私を特別に思ってくれるなんて。

でも私達の始まりはお互いの失恋からだった。

しかも私の無茶苦茶な提案から。

私の気持ちはずっとずっと、自分でも気づかないうちから葵くんに向いていたけれど、葵くんはそのことを知らない。

ずっと私が隠して嘘をついてきた事実。

私の失恋相手は葵くんで、あの時、あなたの涙を見て傍にいたいと願ったこと。

その悲しみを癒せる存在になりたいと思ったこと。

その気持ちに嘘はない。

ただ、そのまま告白しても私のことなんて知らないあなたには拒絶されてしまうと思ったから。

咄嗟に思い付いた、失恋恋人を提案したと。

全てはあなたの傍にいたかったから。

間違えていたことはわかっているの。

ずるいやり方であなたの傍に潜り込んだこと。

……あなたの弱味につけこむ結果になった。

そのことを私はきちんと葵くんに伝えなければいけない。

今度こそ。






< 69 / 117 >

この作品をシェア

pagetop