失恋相手が恋人です
「葵くん、私、話したいことがあるの」

「……失恋相手のこと?」

不安そうに揺れる綺麗な焦げ茶色の瞳。

私は震えそうになる心を奮い立たせて口を開く。

「……うん、あのね」

一瞬、下を向いた私を。

葵くんはギュッと再び力強く抱きしめた。

「あ、葵くん?」

「ごめん、沙穂。
……やっぱり、今は聞きたくない。
沙穂がすごく失恋相手を好きだったってことは知ってたよ、だけど……今は俺を好きだと思ってくれてるんだよね?」

私の頭の上でまるで懇願するかのような葵くんの声に私はただ頷く。

ホッとしたように私を抱きしめていた力を緩める葵くん。

「……じゃあ、もういいんだ。
沙穂が失恋相手のことを話そうとする時はいつも辛そうな顔をしていたから……。
俺もずっと不安だったから」

思いがけない葵くんの言葉に私は驚く。

「あ、あのね、葵くん、違うよ。
私は葵くんのことが本当に好きで……」

必死で顔をあげて説明しようとする私の唇を彼の唇が荒々しく塞ぐ。
「……んっ」

「……わかってる。
でも、今は言わないで。
……本当にもういいんだ。
沙穂が知ってる俺の失恋も、本当は沙穂に声をかけられるずっと前に終わっていたことだったんだ。
今は先輩のことは本当に何とも思ってない。
……東堂先輩と幸せになってくれたらと思う」

葵くんは優しく目を細めて、屈んでコツンと私の額に自分の額をぶつける。

「だから……お互いにもう失恋相手の話をするのはやめよう。
俺達はそれがきっかけで始まったけど、今はお互いに同じ気持ちでいるだろ?
……過去は過去だからさ、お互いに」

どことなく頼りげのない視線を私に向けて、だけど有無を言わせない強い口調で葵くんは言った。

私は結局、それ以上何も言えずにただ頷くしかなかった。

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