失恋相手が恋人です
葵くんの出発日前日。

三月の終わりにしてはとても暖かい日で、私は自宅で溜まっていたアイロンがけをしながら、ぼんやりと葵くんのことを考えていた。

開け放した窓からは、お昼の優しい日差しが差し込んでいた。

その時、私のスマホが音を立てた。

何気なく見ると葵くんからの着信だった。

「は、はいっ、葵くん?」

慌てて話す。

「沙穂、今から会いに行っていい?」

何処かしら寂しそうな声が響いてきた。

「う、うん。大丈夫だけど、葵くん、どうしたの?
今、何処?
何かあったの?」

矢継ぎ早に尋ねる私に、すぐ行くから、とだけを告げて葵くんは通話を切った。

そして十分も経たない内に葵くんは私の部屋に到着していた。

疲れたような表情は少し改善していたけれど、体重は戻っていないようだった。

「突然ごめんな、沙穂」

フローリングの床の上に座る葵くん。

温かいコーヒーをテーブルの上に置いて、私は葵くんの向い側に座る。

「ううん、忙しいのに来てくれてありがとう。
……準備はもうできた?
今日はもう他に予定はないの?」

何を話したらいいのかわからなくて、当たり障りのないことしか言えずにいた。

「いや、まだなんだ。
……夕方には教授と最後に大学で会う約束になってる」

「……そっか、忙しいね」

夕方までは二時間位しかない。

忙しい合間を縫って会いに来てくれたことは嬉しいのだけど、すぐに離れなければならない現実が私には辛かった。

私達はいつからゆっくり二人で会っていないだろう……。

どうしてこんなに近くにいるのにすれ違っている感じがするのだろう。

お互いがもう社会人というわけでもないのに……。

どうして時間が自由にならないんだろう。

私の考えていることが顔に出ていたのか、葵くんが悲しそうに私を見つめた。

「こんな風になって、本当にごめん。
やっと沙穂ときちんと付き合い始めたと思った矢先に留学だなんて……さ。
沙穂のことも放ったらかしで、ろくに話もできていなくて」

私は黙って首を振る。

「でも、俺は本当に沙穂が好きなんだ」

真っ直ぐ私を見つめる焦げ茶色の瞳に迷いはない。

葵くんは私の隣りに移動して、私をその胸に強く抱きしめた。

「……沙穂と離れたくないんだ」

絞り出すような震える葵くんの声。

私の頬を涙がつたう。

「ごめん、本当に……」

言いたいことも伝えたいこともたくさんあるのに声が出ない。

ただ葵くんの胸にしがみついて泣くことしかできなかった。










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