失恋相手が恋人です
ただただ泣き続けていた私は、いつの間にかウトウト眠ってしまっていたようだった。

カーテンを閉めずに外出していたままになっていた窓から、朝日が部屋に射し込んでいる。

慌てて身支度を調えて大学に向かったことが随分前のように感じる。

握っていた筈のスマホは床に転がっていた。

着信を確認することすらせず、私は電源を切った。

ピンポーン、ピンポーン。

部屋に呼び出し音が鳴り響く。

セキュリティだけはしっかりした場所に住みなさい、と両親に口酸っぱく言われ、オートロックのマンションに決めたことが今、功を奏していた。

モニターには……葵くんの姿が映っていた。

珍しく、苛立った様子の葵くんの姿だった。

こんな形で最後に会うと思わなかった。

今日が出発日だというのに、会いに来てくれた。

その優しさでもう充分だった。

さようなら、と小さく呟く。

下を向くと零れ落ちる雫。

何度となく、呼び出し音が鳴り響き、やがて静かになった。

……葵くん、葵くん。

心の中で何度も名前を呼ぶ。

本当は今、返事をしたかった、会いたかった。

別れたくない、昨日のことは嘘なんだって言いたい。

だけど。

私にはその資格がない。

葵くんは私を好きだと言ってくれた。

待ってて、とまで言ってくれた。

それは私が誰かに失恋していた丹羽沙穂だったから。

最初から葵くんに恋をして、葵くんの失恋を利用して付き合った丹羽沙穂ではなかったから。

……卑怯な始まりをしていなかったから。

黙っていれば良かった?

……言わなかったら良かったんだよ、と言った冷たい声の葵くんを思い出す。

どんな時も葵くんは優しかった。

噂でしか知らなかった葵くん。

寄ってくる女の子には容赦がない、冷たい、と聞いていた。

だけど本当は全く違っていて。

綺麗な二重の焦げ茶色の瞳でいつも私を優しく見つめてくれていた。

羨ましくなるくらいの長い睫毛に縁取られた瞳。

遠くを見つめるときに目を細める癖。

柔らかい、薄茶色の髪。

コーヒーが好きなこと。

体温が高い身体。

長くて綺麗な指。

目を閉じるだけで思い出す。

……ううん、忘れたことなんてない。










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