失恋相手が恋人です
反射的に私は一歩後ずさりをした。

彼に貼り付いたかのように視線を外せない。

どうして?

どうしてここに葵くんがいるの?

……私の部屋だったベランダを見ているの?

私は……夢を見てるの?

その時、不意に葵くんが私の方を見た。

その綺麗な切れ長の瞳が驚きに見開かれる。

「……沙穂?」

ずっと、聞きたかった声。

忘れたことのない低い声。

呼んでほしかった私の名前。

ずっと会いたくてたまらなかった人がそこにいた。

「……葵……くん……」

かすれた声で名前を呼ぶ。

ガクガクする足から力が抜けそうになっている私とは対照的に。

葵くんはその長い足であっという間に私との距離を縮めて。

逃げる間もなく私をその腕の中に捉えた。

「沙穂……!」

懐かしい温もり。

私の髪に触れる葵くんの長い指。

その指は微かに震えていて。

葵くんの高い体温が私に伝わってきて。

「葵くん、葵く……ごめんな……さい」

とめどなく溢れる涙の中で。

それだけ言うことが精一杯だった。

葵くんは私をギュッと強く抱きしめながら、首を横に振った。

「何で……。
違う、もういいんだ。
俺の方こそ……ごめん、沙穂。
ずっと……ずっと会いたかった」

心なしか震えて聞こえる葵くんの声に。

私の心臓がキュウッと痛いくらいに締め付けられる。

「私も……本当はずっと……ずっと会いたかった」

「……沙穂」

少しだけ身体を離して葵くんが私の止まらない涙を指で拭う。

愛しくてたまらない焦げ茶色の瞳が真剣な色をたたえて、私を射ぬく。

その鋭さと強さに、私は瞬きすら忘れて見入ってしまう。

葵くんは私の顎をクイッと持ち上げ、身体を屈めて。

抱きしめる腕の強さとは裏腹に、唇が触れるだけの優しいキスをした。

何度もそんなキスを繰り返して。

コツン、と葵くんは私の額に自分の額を合わせた。

「……沙穂にもう会えないかと思った……」

それはとても低くて小さな声。

葵くんの伏せた長い睫毛を見つめながら、私は両手で葵くんの頬を挟んだ。

「……私も。
会えないかと思ってた……。
……会えて良かった……」

潤んだ瞳で葵くんを見つめて。

「好き……」

ずっと蓋をし続けてきた想いを解放した。

「……ずっと……ずっと好きだったの、今までも今も」

一番伝えたかった言葉。

謝りたいことも聞きたいこともたくさんあったけれど。

今はもうそれよりも、何よりも。

何よりも言いたかったこと。

それはあなたを好きだということ、ただそれだけ。


















< 99 / 117 >

この作品をシェア

pagetop