忘れ物 ~ホテル・ストーリー~
友里恵は、コンシェルジュのデスクで対応した老夫婦に声をかけようと立ち止まった。
仲の良さそうな夫婦を前にして、軽くお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、鈴木様。銀座はいかがでしたか?」
「まあ、私たちの名前まで覚えていてくれたのね。うれしいわ」
自分が対応した客の、こんなふうに自然に出た言葉が一番うれしい。
最初は、声掛けが苦手だった。
声を掛けようと思って、もたもたしているとお客様は通り過ぎてしまう。
『親切に対応したことより、すれ違った時に覚えてくれていた方が嬉しいものだ』
チーフコンシェルジュの深田にそう言われて、自分を奮い立たせ、彼の言葉を頼りに欠点を克服した。そのうち、自然に声をかけられるようになった。