Mysterious Lover
トースターからパンを取り出して、マーガリンを落とす。
とろんて溶けて、こんがり焼けたパンの上を滑っていくそれを眺めながら、わたしは「お正月か」ってつぶやいた。
頭の中でスケジュール帖をめくる。
たぶん、帰れる。年末年始は、クライアントも出版社もみんなお休みをとるし。
もちろん、お盆休みにだって、帰れないわけじゃなかった。
うちの会社は、一部上場企業並みに、10日も休みをくれた。
でも、わたしは旅行という口実を作って、今年も帰らなかった。
夏にお母さんに会うのは、正直気が重い。
半そでから伸びた腕の先、左の手首に刻まれたあの傷跡が、否応なく目に入ってしまうから。
今ではもうシワと見分けがつかないくらい小さく、薄くなってしまった跡だけど。
どうしても思い出してしまう。
お母さんが自分で自分を傷つけた、あの日のことを。
トーストにかじりついて、窓の外に目をやった。
東向きの窓は、閉めてしまえば、太陽の光だけを届けてくれて。
室内はまるで温室のようなぬくもりに包まれる。
あの日も、こんな穏やかな日だった。
小学2年にあがったばかりの、春。
その日、お母さんは自宅のバスルームで手首を切った。