秋の夜風
季節はいつの間にか秋だ。
あの忙し喧しく鳴いていた蝉はいつの間にか絶え、青々と繁っていた木々の葉はいつの間にか赤や黄色に色付き、木枯らしに散らされはじめている。
秋は実りの季節と言うけれど、なんとなく物悲しい・・・。
私はまた木枯らしに散らされてはらはらと地に落ち行くシャラの木の葉を濃い闇に包まれた縁側からぼんやりと見つめ見ていた。
今宵は月明かりも星明かりもない暗い夜だ。
それでも私の目には木枯らしに散らされて舞い散るシャラの木の葉のその様がはっきりと見える。
私は人ではない・・・。
私はいつから人ではなくなった?
そう声なく誰かに問うてみるも誰からも答えはない。
ただ、わかっていることは私が人でなくなってからはもう随分と時が経っていると言うことだけだ。
自分がいつ死んだのかを忘れるほどに・・・。
自分が何者であったのかを忘れるほどに・・・。
色は褪せる・・・。
そして、記憶も褪せる・・・。
だが、まだあの頃の記憶は褪せてはいない・・・。
まだ、あの頃の記憶を褪せさせてはいけない・・・。
そんなことを思っているとふと、背後に不穏な気配を感じた。
私はゆっくりとそちらを振り返った。
「・・・眠れませんか?」
私は幽鬼のように暗闇の中に立ち尽くしている青年にそう声をかけた。
青年は小さな声で『はい』と答えただけだった。
私は青年に気づかれないように小さな溜め息を吐き出した。
この青年は人であって人ではない・・・。
この青年は無条件に人に『死』を与えてしまう。
まるでそれは死神のように・・・。
そして、それはかつての私のように・・・。
私はその青年に隣に来るように声をかけた。
青年はそれに素直に従った。
青年は私の横に腰を下ろすと大きな溜め息を吐き出した。
青年のその整った横顔はひどく疲れて見えた。
「・・・悪夢にでもうなされましたか?」
私は苦笑混じりにそう言って青年の答えを静かに待った。
ひゅるりと冷たい秋風が頬を撫でた。
ヒラリヒラリと紅葉したシャラの木の葉が躍りながら地に落ちた。
「・・・ここのところ毎晩、同じ夢を見るんです」
そう言った青年はうんざりとしている様子だった。
青年のその様子から察するに余程その悪夢に悩まされているらしい。
「何度も何度も・・・同じ夢の繰り返し・・・。いつかその夢の中に閉じ込められてしまうんじゃないかと思うと怖くてなかなか寝付けれないんです」
青年はそう言うともう一度、大きな溜め息を吐き出した。
夢は見続ければそれは真となる・・・。
心の内に思い願う夢も眠り見る夢も・・・。
私は心の内でそう呟き、懐に仕舞っていた煙管を取り出した。
もうこれとも随分と長い付き合いになる・・・。
私はそんなことを思いつつ、それの火皿に刻み葉を詰め、火をつけた。
ぼんやりとした紫煙が秋の夜風にく揺る。
「・・・先生は夢を見ますか?」
青年のその問いに苦く笑んだ。
夢・・・か。
「私はほとんど睡眠を取りませんから眠り見る夢はそう見ませんね」
私は睡眠をほとんど取らない。
よく取ってもそれは一時間ほどだ。
私は人ではない。
そして、生き物でもない。
だから睡眠は必要としない。
私にとって睡眠はただの嗜好品のようなものだ・・・。
「・・・そうだ。どうです?一杯、一緒に飲みますか?」
私は嗜好品で思い出したのをいいことにそんなことを言ってみた。
酒は昔から好きだ。
いくら飲んでも今は酔わないけれど・・・。
「え?あ・・・はい」
私の提案に青年は少し、戸惑ったようだった。
そんな青年に私は緩い笑みを投げかけ未だ紫煙のく揺る煙管を煙管盆へと仕舞い置き、その場を離れようとした。
そんな私を青年が呼び止める。
小さな声で『先生』と・・・。
青年は私を『先生』と呼んでくれている。
それを私は本当に有り難く思う。
私は『先生』と呼んでもらえるほど偉くも賢くもない。
なのに・・・だ。
私は私を呼び止めた青年をゆっくりと振り返り、笑顔で『はい?』と返事をしてみた。
青年は俯き加減で私を見つめていた。
「・・・いつも・・・ありがとうございます」
青年のその言葉に私は瞬いた。
秋の夜風は冷たく寂しいのに私の胸の内に吹いた秋の夜風は春風のように暖かく心地のいいものだった。
『ありがとう』はいつの時代も不思議な力を持つ魔法の言葉だ。
「こちらこそ、いつも大切なことに気づかせてくれてありがとう」
私はそう言って心の底から笑んでみた。
まだまだ人間も捨てたものじゃない。
そんなことを心の内で思いながら・・・。
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