不器用な彼氏
『降ってきたみたいだなぁ』
隣の営業係の杉浦係長が、帰り間際に声をかけてくれる。その声に反応して右側の窓の方を振り返ると、真っ暗なガラス窓に無数の水滴が付き、その中に自分の姿が写っていた。
『あ、ホントだ…』
『何、櫻木さん残業?まだ帰れないの?』
『う~ん…もう少し…ですね』
何も知らなそうな、杉浦係長に、まさか“そちらの野村君の連絡ミスで”・・・とは言えない。おそらくまだ2年目で、開発を取れたこと自体は、快挙なのだから、それは水をさすってものだし。
『早く帰っちゃった方がいいぞ~、この後、嵐になるってよぉ』
“カタカタカタッ…”
窓がさっきより大きな音をたてる。
『ほら、風も出てきたじゃん、もう早く帰ろ!帰ろ!』
『そうですね。これ終わったら、すぐ帰ります』
うちの係長と違って、陽気で明るい杉浦係長。薄暗いフロアを明るい雰囲気にさせてくれる。
後ろに座る進藤さんへも忘れずに労いの一言声をかけ『ほんじゃね~お先~』と、手のひらを頭上でヒラヒラさせながら、帰っていく。
一瞬、左斜め前のガラス扉が開き、次に続く二重扉が開いた瞬間に入り込む冷たい風は、すでに雨の香りが含まれていた。まだ小振りのようで、中まで吹き込むほどの雨ではなさそうだ。
陽気な杉浦係長がいなくなったフロアは一段と薄暗く、寒さに強い私も肌寒く感じてくる。
カウンターに向き直り、大量の書類を並べ精査していると、左側に長く延びるフロアの中心あたりから、AS(アフターサービス)課の坂井さんが『二人とも飯は?』と声をかけてくれる。
私は『もうすぐ終わりそうなので大丈夫です』と答え、後ろの進藤さんは、注文する為に席を立った。