不器用な彼氏
『菜緒』

呼ばれて、咄嗟に『あ、飲む?』と聞くと、その問いは軽く無視され、

『こっち…来い』

いつになく、真剣な顔で、自分の座るソファへ、私を呼ぶ。

ドキッ…もう?

正直、まだ心の準備が追いついていない為に、思わず躊躇してしまう。

『えっ…と、それよりも、お茶でも入れるから…取りあえず、少し落ち着こうか?』
『いや、いらねぇ』
『あ、じゃビールでも…』
『菜緒!』

嗜めるような声音で、もう一度名を呼ばれると、皆まで言わせるなと、無言の圧力。

くつろぎのスペースと言っても、ワンフロアの部屋の一角で、そんなに広いわけではなく、5¸6歩あるけば、すぐ手の届く位置にいる海成。

ソファから動かず、私の方から来させるように仕向けるのは、私の気持ちを確かめているのかもしれなかった。

ソファに腰掛け、両ひざに肘をかけ、少し前かがみで手を組む姿は、こちらに手を延ばすのを必死に耐えているようにも思える。

『……』

触れることも、拒否することも委ねられ、選ぶのは自分しかない。

何を、迷うことがあるの?自分だって望んでここ(旅行)に来たはずなのに…。
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